7/10転院
救命救急センターというのは文字通り、事故直後に命を救うための施設です。なので、いずれは別の病院に転院しなければなりません。私の場合も転院までにはそう時間を要しませんでした。
次に目が覚めると、もちろん妻はもういませんでした。時計や携帯電話はどこにあるかわからず(後に妻にすべて渡されていたことがわかりました。)、時間が一切わかりません。唯一、窓から漏れる光のみが朝を教えてくれる唯一の手がかりでした。眼鏡も取り外されたままでしたので、部屋の様子すらよくわかりません。ただ、事故直後に比べると痛みは幾分かましになっていて(痛み止めのおかげ)、それがかえって、昨日の事故が本当に現実に起こったものなのかを疑わせることになりました。実は夢だったんじゃないかと。ですが、両脚、左手は包帯でぐるぐる巻きになっており、おまけに、ぶつかった瞬間の衝撃まで思い出されて、それで初めて、事故は現実に起こったことだったんだと思い知らされる結果となりました。
病室内はとても静かです。確か4人部屋でしたが、患者は私一人だったと思います。私は現実のすべてを受け入れざるを得ませんでした。ですが、そうなると逆に力が抜けてしまい、再び眠気に支配されて、知らない間に眠ってしまっていました。
次に目が覚めたのは、医師が枕元に来た時でした。けがの様子を見るのと同時に、転院の話をされました。入院、手術とリハビリをするのは、T病院をおいて他にはないと。T病院…取りも直さず、私が最初のバイク事故で世話になった病院です。そして転院後に、以前の主治医と再会することになるのです。もっとも、T病院への転院の話を出された時から、再会のことは予見していましたが。
確か昼頃だったと思います。無性に空腹感を覚えて、たまらず看護師に訴えました。食事制限がかかっていると思っていたのですが、そうではなかったみたいです。
看護師「予定していなかったので、余りものしかありませんが…。」
そう言いながら、おかゆとさばの味噌煮を持ってきてくれて、食べさせてくれました。事故後初めての食事。その味噌煮とおかゆのおいしかったこと。あのおいしさはきっと一生忘れないと思います。
その翌日、7月10日の昼頃、私は介護タクシーに苦労の末に積み込まれて、数人の看護師に見送られ、妻に寄り添われてT病院に向けて出発しました。タクシーに積み込まれる際に、外の真夏の熱気に一瞬息が詰まりそうになりましたが、それでも何となく心地よさも同時に感じられたりして。
「次の機会に感じる~外~は、一体いつの季節だろうか…。」
タクシーに揺られながら、長くなるであろう入院生活のことを思って、気持ちが暗くなるのを感じていた私でした。
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