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父のこと~奇跡の私

 大正6年10月7日に京都の京北町で生まれた父は、太平洋戦争が始まってすぐに中国戦線に召集され、帰国後休むまもなく、フィリピン・ミンダナオ島に送られた。その合間に母と見合い結婚をしたせいで、母はよく、父と見合い結婚をしたけれど、帰国まで長くて顔を忘れたと言っていた。

 父の部隊は、ミンダナオ島のマライバライという町の近郊で最前線に参加し、敵の総攻撃を受けて横腹に貫通銃創を受けた。近辺の戦友たちが皆急所をやられて即死していく中、父は奇跡的に急所をはずれて命だけは助かった。被弾後、自身も負傷しておられる戦友の方たちの手で現地の野戦病院に運ばれ、数週間も生死の境をさまよったそうだ。銃弾は幸い急所をはずれたものの、脊髄を損傷し、右足が不自由な身体になってしまった。幸か不幸か、そのおかげで、その後戦線に送られることなく帰国することができたのだった。後日父が聞かされたのは、自分の部隊がミンダナオ山中で全滅させられたとの知らせ。この知らせを聞いたときの父の気持ちはいかばかりであったか。父は昭和48年からは毎年、ミンダナオ島の戦友が亡くなった土地に出向き、供養を続けていた。父が行った最後のミンダナオ訪問のときには、私も同行させてもらった。

 さて、父は帰国して母との生活が始まり、私にとっては長兄、次兄の二人の子どもに恵まれた。戦後の生活の苦しさは我が家も同じであったらしく、苦しい生活の中で、それでも二人の子どもが元気に育っていくのを目を細めて見ていたに違いない。

 昭和28年に肺結核を患い、再び生死の境をさまよいながら、長い闘病生活を送った。右肺を3分の1切除。おまけに、手術の輸血のせいで、肝炎をもらってしまったのもある意味不幸だった。30代にして、父はすでに満身創痍の身体であった。

 昭和35年に母は私を身ごもったが、当時は生活苦でもあり、また、長兄、次兄と年齢が離れていることもあって、私を堕胎することも考えたそうだ。ところが、ある寺のお坊さんに諭されて、産むことを決意した。私の名前は、そのお坊さんがつけてくださった。

 こうして、あまり私が知らない父の過去を、それでも一生懸命父の話を思い出しながら書き綴ってみると、私はとてつもない奇跡を積み重ねてこの世に生を授かったと言っても過言ではない。そんな私をこの世に出させてくれた両親には、いつも感謝の気持ちを持っている。

 ただ、そう言いながら、父の晩年は、私はあまり親孝行な息子ではなかったような気がして。親を亡くして初めて、そんな風に思う自分を情けなく思ったり。

 平成7年、あの阪神淡路大震災の年の8月に母が亡くなったことは以前にブログに書いた記憶があるが、その後の父は、兄夫婦の力も借りて、余生を趣味の海外旅行を楽しむことで過ごした。私と行ったミンダナオ慰霊訪問を最後に、足の不自由さが災いして車椅子なしでは歩けなくなり、かと言って、私たち家族だけの力では限界を感じるようになり、80歳の後半には介護老人施設に入所した。

 昨年の8月に体調を崩してからはずっとかかりつけの病院で入院生活。その頃には私たち家族には、覚悟は決めておくように、と医師から告げられていた。「このお正月を越せればいいね。」と兄夫婦たちと話していたが、その言葉通り正月は父の頑張りで越すことができた。

 正月を過ぎて、途端に体調が急激に悪化。父は誕生日と同じ日付の1月7日午後10時40分に、永遠の眠りについた。息を引き取るとき、私はしきりに父に「頑張れ、頑張って!」を繰り返してしまった。満身創痍の身体にもかかわらず、私たちのために93歳まで精一杯頑張り続けてくれた父に向かって、私はなんという酷な言葉をかけたものか。どうせかけるなら、「今までどうもありがとう」やろ!そのことだけが、今少し心残りだ。 

 満身創痍の身体なのに、93歳まで生きることができたのは奇跡に近い。でも、それには裏づけがあって、父は母が亡くなってから後も規則正しく、自分を甘やかせることなく生活を続けたからに他ならない。私にはとてもできそうにないことではあるが、それでも、頑固な父の口癖、「人との付き合いと、冠婚葬祭ごとは手を抜いたらあかん。」という言葉だけは、ずっと私の胸に刻んで、心の座右の銘にしている。

 このたびの父の葬儀は家族葬にした。近い親戚だけの参列という予定であったが、北斗サーフのクラブ員、そして、学校の同僚の先生方が次々と駆けつけてくださり、本当にありがたかった。持つべきものは仲間、父の言葉がそのまま当てはまる光景に、目頭が熱くなって。

 今日まで私はお休みをいただいたが、明日からは復帰。父の生前から考えていた通り、釣りは満中陰が無事終了するまではとりあえず自粛するが、このブログは「仲間たち」のために書き綴っていくつもり。

 気持ちはすでに平常に戻っていますので、どうぞご安心ください。

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コメント

ふぐたろうさん
こんばんわ、少し落ち着かれましたでしょうか?
お疲れが出ておられませんか?
今回の「父の事、記事」読ませて頂きました、私は昭和28年生まれの父がすでに他界して、何一つ、親孝行をすることがなかった事、何年も何年も悔んでいます。
「あの時もっと、ああすれば良かった・・・」いつも思っています。
私の父は言葉よりも、背中で語ってくれていた事が多かったように今になって思います。
ふぐたろうさんのお父さまのお言葉、
「人付き合いと冠婚葬祭手を抜いたらアカン」これは私も心に留めておきたいと思う素晴らしいお言葉だと思います。
偶然かも知れませんが、一昨日、知り会いのお通夜に行かせてもらいました、
行こうかどうしようか、悩みましたが、行って良かったっと心底思いました。
不謹慎かもしれませんが49日が終わられる頃にはこの寒さもかなり治まり、春になり思いっきり釣りを楽しめるかもしれませんね・・・
「平常心に戻られた」を目にし、勝手ながら私も少し、心が和らぎました。
どうかお疲れが出ませんように・・・
それでは失礼致します。

>おかきんぐさん
ご丁寧で温かいお言葉、本当にありがとうございます。
親はいなくなってからありがたく感じるもの、今、ひしひしと感じています。
おそらく、おかきんぐさんも同じようなお気持ちでしょう。

春になったら気分一新、思い切り竿を振りに行こうと思います。
3月下旬ごろに、オープン大会も開催する予定です。
もしよければ、一緒に竿を振りませんか?

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