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誕生日 完結編

 その日は朝から大変蒸し暑い日だった。妻は手術のため前日から別フロアに入院していたため、息子には私が付き添っていた。そして、妻が無事退院するまでは、私が付き添いをすることになっていた。午前9時前、看護師さんが運ぶ息子が寝るベッドに付き添ってエレベーターに乗り、手術室があるフロアに移動した。手術室には直接入れなかったが、垣間見える手術室はとても広そうに見えた。そういえば、葛西手術のときに手術室に入る息子の記憶が全くない。それだけ、移植手術の記憶が鮮烈だったということか。だが、このときに同時に手術室に入ったはずの妻を見送った記憶もなくなっている。息子のベッドの横に、後から来る妻のベッドが並べられ、手術をするとのことだったはずだ。そして9時、手術室の扉が閉められ、いよいよ手術が始まった。私は横の待合所で待とうと思ったが、看護師さんに時間がかかるから一度自宅に戻られたら?と勧められて、一旦自宅に戻ることにした。

 この手術近辺の記憶が上にも書いたようにとても断片的だ。前後の日々が結構記憶に残っているのに、なぜか手術日当日の記憶が曖昧なのだ。だから、ここから以下はかなり曖昧な表現になると思う。ただ、自分でも奇妙なのだが、この病院から一旦帰宅する道中が思い切り鮮明に記憶に残っている。私はバイクを運転しながら泣いていた。涙でかすむ目に映る道中の景色まで脳裏に焼きついている。私たちは家族3人。そのうちの2人が同時に手術を受けているのだ。2人には頑張ってもらいたいという気持ちの向こう側で、残された私が何もできないもどかしさ、それと強烈な孤独感が私を襲っていた。そんな複雑な私の心境が、無意識の涙につながっていたのだろう。自宅に戻っても特に何もすることはなく、かと言って何をする気も起こらず、私はただボーっと時間が過ぎるのを待っていたような気がする。その日はとてもとても長い1日だった。

 手術が終わったのはその日の夜、病院から連絡があったか、自分から夕方ごろに病院に向かったのか記憶にない。そして、午後9時ごろ、手術終了の時間を待って、運ばれてきた麻酔で眠っている妻を出迎えて手を握ったのを覚えている。妻は苦しそうな顔で眠っていた。それとももう意識があったのか、それは本人に尋ねても定かではない。医師によると、手術は無事成功したとのことであった。実に約12時間かけた手術。この大学病院では2例目の生体肝移植とのことで、他の国立大学から医師を招いての大手術だった。医師に勧められてICUで眠る息子に会いに行った。息子は感染症を防ぐために無菌室に入れられていた。そのときに残っている息子の記憶。目が半開きのまま眠っているが、終わってよかったというほっとしている表情にも見えた。腹水であれだけパンパンだったお腹も、すっかりペシャンコになっていて、そして驚いたことになんとすでに黄疸が消えているではないか! 息子の本当の顔色を見たのは、このときが初めてだった。息子はとても色白なことがこのとき初めてわかった。これからは拒絶反応との戦いになるが、手術は大成功だったとこのとき医師に伝えられた。次に案内されたのが病理室。息子から摘出した肝臓を見るためだ。病理室に入ると主治医が息子の肝臓を見せてくれた。それは1センチ幅にスライスされていた。病理解剖のためだ。だが、解剖するまでもなく、素人目に見ても、とても肝臓とは思えないほど醜い色形だった。内部は本来は牛肉のレバーのような鮮やかな赤色をしているとのことだが、それは胆汁ですっかり緑色に変色していて、外側はゴツゴツとデコボコだらけのこげ茶色をしていた。この肝臓で今までよくもったものだと心の底から思った。このときの病理解剖室でのことは、ビデオに収め、現在でも大切に保管している。とりあえず・・・・成功してよかった。

 ICUから出たのがそれから約1週間後。妻もその頃には歩けるほどまでに回復はしていたが、まだ傷口が痛むようで、息子の付き添いができるには時間がかかりそうだった。それで、しばらくは私が付き添うことになった。私の職場の学校も9月1日に始まる。それから以後10日ほどの休暇をとって、私は病院で息子に付き添った。

 9月中旬、14日だったか、15日だったか、悔しいことにはっきりした記憶が残っていないが、星野阪神タイガースが優勝を決めた日。デーゲームの広島戦での赤星選手のライトオーバーツーベース、そして、星野監督の優勝インタビュー。すべて私は病室で観た。そのときの星野監督の優勝インタビューの一言目。私にとっても絶対に忘れることのできないものすごく重い一言を星野監督は言った。「あーしんどかった。」その一言を聞いた瞬間、私は目から涙が止まらなくなった。涙が後から後からとめどなくでてくる。星野監督のセリフが私たちの闘病生活のしんどさとオーバーラップして、阪神優勝の喜びと、手術が終わってほっとした喜びが私の中でも静かに爆発していた。そして、確か9月の下旬か、10月の上旬か・・・・息子は無事退院した。すっかり色白のかわいい男の子になっていた。

 息子は今ではすっかり元気になって保育園に通っている。ただ、毎日朝飲む免疫抑制剤は欠かせず、その薬だけが息子の過去の闘病を物語っている。医師には20歳になるまでは、拒絶反応の可能性が否定できないと言われている。妻の肝臓は奇跡的に息子に合ったようで、拒絶反応の症状はほとんど出ることなく現在に至っている。あれから5年の歳月が流れ、私たち夫婦の間でも、あの闘病生活のことはほとんど話題に登らなくなった。それでも、二人の心のどこかに、あのときのしんどかった病院での日々が確かに刻まれているのである。息子が無事成人することを祈りつつ・・・・

                 このブログ ようやく終わりです

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コメント

釣りには疎いのでいつも読むだで書けるコメントもなくて申し訳ありません。でも今回のお話では、母(奥様)の逞しさに敬意とともに家族の絆を感じました。一部記憶のあいまいさに当時の壮絶な思いが伝わってきます。スクスクと元気に育っていらっしゃることがまるで自分の家族のことのように嬉しいです。モチロン現在を知っているから、心配半分安心半分で読ませていただいたのですけど・・・。

ここ数回、胸が締め付けられる思いがしてました。
誕生日というタイトルから安易な気持ちで読みに入った自分を恥ずかしくとも思いました。
完結編を読み終えた時、安堵の気持ちから涙がこぼれておりました。
また別のふぐたろうさんという人を知ることが出来ました、ありがとうございました。

ma-nyaさん、釣りをしない方にとってはつまらない内容ばかりなのに、いつも読んでいただいて恐縮しています。もっともっと釣りをしない方にも読んでいただけるようなブログにしていきたいです。

伊弉諾マスターさん、いつもありがとうございます。ブログを始めたときから、息子の誕生日に合わせてこの内容を書くと心に決めておりましたので、これでようやく納得できました。釣りネタも、釣りネタじゃないものも、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

家族で頑張ってこられたのが、分かります。。。
本当に、良かった。。。。

息子さん、小さな体で頑張ってくれましたね。
抱きしめてあげたいです。。。

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