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2008年3月

出会い頭

 手前ミソで申し訳ないが、鳥取で釣ったイシガレイ、釣れるべくして釣れたと言わざるを得ない。その理由を今回は分析してみる。皆さんの釣行でも役に立つヒントはきっとあると思うので、参考にしてほしい。

  • 私の場合、初めての釣り場でランクを釣ることはめずらしい。例外として考えられるのは実績のある方からポイントの説明なりを聞いて釣行した場合。最近では様々なホームページで紹介される釣行記やポイント紹介などを頼りにする場合が多いので、比較的確率は上がってきたように思うが、漠然と釣り場を調べて釣行して、ランクを釣るのは難しい。
  • これも私の場合。前回の釣行で悔しい思いをしたとき。目の前で大きい魚を釣られてしまったとか、別ポイントで好釣果が上がったとか。今回のイシガレイはこれにあてはまる。12月末の鳥取一文字で、納竿間際に横で釣られたイシガレイはでかかった。私も必ず釣るぞ、と思った。
  • ここと思ったポイントには通いつめるのが大切。もちろん、時間と資金が必要だからその限度内でポイントに精通することが釣果を上げる近道であると思う。実績場で一度振られたからとその釣り場を敬遠するのは、長い目で見ると分が悪い。根気よく、ここぞと思ったポイントには通うこと。
  • それから、鳥取一文字でのこと・その1。先日の釣行の雰囲気からすると、投げ釣りのお客様は最近(ここ1週間ほど)少なかったのではないか。それに、いかに鳥取一文字とはいえ、特に大物の個体数には限りがあると思うので、そのたまたまいたイシガレイがしばらく釣られずに釣り場が保存され、それに当たったと考えられる。
  • 鳥取一文字でのこと・その2。釣行する前の数日間が好天に恵まれていた。カレイが寄る条件が良かった。しかも、特に好天であった釣行前日が、渡船店の定休日で確実に釣り人はいなかった。
  • 鳥取一文字でのこと・その3。渡船に乗る前から前回の悔しい思いが何度も思い出され、絶対に「あの」ポイントに入ろうと決めていたこと。他の釣行でも当てはまるが、ポイントをどこにするか迷ったときは、不思議とあまり良い成果が上げられない。その証拠に、翌日はCランクを釣ったポイントか、歩いてAランクを2枚釣ったポイントにするか迷ってしまった。前日の味をしめて同じポイントに入ったことが敗因かも。なにせ、個体数が限られている魚のこと、昨日釣ったところに同じ魚がまたいるのは考えにくい。2枚釣った午後のポイントに迷わず行くべきだった。(2日目ということで疲れもあって、荷物を持って移動するのが億劫でもあった。)

 これらのことを総合すると、2日間の釣りで、1日目の出会い頭に釣れたことはごく自然な成り行き。逆に言えば、2日目の出会い頭に釣れることの方が不自然であるように思う。

 私にとって、今年に入って出会い頭で大物を釣り上げたのは、クロダイに次いで2回目。自分で書いた上の文章を読んでみると2回の釣行の共通点が浮き上がってくる。自分自身でも今後の参考にするとともに、皆さんもご自身の釣行に当てはめて、参考にしていただければと思う。

 ご意見はどしどしどーぞcoldsweats01

フロートテンビン

 倉庫の奥を探っていると、フロートテンビンが6個ほど出てきた。昔の遊動テンビンといえばフロートテンビンが定番だった。そして、2代目のフロートテンビンはL字の角の部分に赤い樹脂の止め具があって、鉛の下の穴に差し込むとL字ができるようになっている。ところが、浮き上がりが早いとのうたい文句で出されたこのフロートテンビンも、最近は使っている人をほとんど見ない。理由は、飛ばないからであるのと、後発で海草テンビンやジェットテンビンなど、飛ぶテンビンが数々販売されるようになったからだと思う。私は実はこのフロートテンビンが嫌い。飛ばないのも理由であるが、折りたたみ式をうたっていても、使用後は変形してしまい、はずすことすらできなくなってしまうからだ。そんなフロートテンビンが6個も倉庫で発見され、普通のテンビンだったらよかったのに、とがっかりしたが、よく考えてみれば、今日から私はアイナメ狙いに行くのだ。そのことを思っているうちにふと思いついて、アイナメ用根がかり対策オモリを自作してしまった。まあ、不出来といえば間違いなく、インプレッションするほどのものでもないので、今日は変身したアイナメテンビンをブログにて紹介しようと思う。「浮き上がりが早い」性質を利用しない手はないので、根ガカリには強いはずであるので、これはきっと活躍するのでは?と期待している。皆さんも、倉庫などに眠っている使わなくなったフロートテンビンは、改造して活用しましょう。   

 さあ、これを持って今日からアイナメ釣りに行くぞー! でも、天気が悪そう。磯には渡れないかも・・・・・(;o;)

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日本海釣行計画

 ブログのサーバーがメンテナンスのため、昨日は更新できませんでした。ご了承ください。

 今週はどこかの平日に日本海方面へ釣行しようと思っている。お相手は最近おなじみの元会長萩山氏。氏は昨年末に長年勤められた会社を退職され、平日の釣行が可能になったのだ。ただ最近では、「時間ができるようになったら、今度は軍資金が苦しいわー。」と嘆いておられる。いずれにしても、お人柄が温厚で仕事柄手先は器用、おまけに研究熱心と、一緒に釣行させていただくと私は感心の連続。「会長」とはこのような方を指すのだ、と言わんばかりの私にとってはすべての面での大師匠だ。私の職場の長期休業中を利用した休暇に釣りに行くお相手としては、願ってもない方なのである。であるから、昨年末からの個人での釣行では萩山氏と行くのがほとんどである。

 さて、今回の釣行の狙い目は日本海方面のカレイとアイナメ。あれ?カレイは苦手じゃなかったの?という声も聞こえてきそうだが、ただであきらめるほど柔な私ではない。そこは果敢に挑戦あるのみ!あわよくばBランクのイシガレイや、得意の磯アイナメ狙いで同じくBランク「以上」のアイナメが釣れたらいいなと思っているのだが・・・・現在萩山氏と釣り場について検討している。ただ、少し天気が心配。日本海方面はこの時期でも天候が崩れた後は冬型っぽい風が吹いて海が時化るから、様子を見ながら釣り場を決めていくことにしよう。カレイ、アイナメの神様~、どうか二人に微笑みかけてくれ~。 

HP更新マニュアル

 今、ようやく前日の釣行記を書き終えた。それにしても、貧果の釣りの釣行記の筆(key?)は進まないなあ。大漁とか劇的場面があるならそれなりにささっと書いていけるのだが。

 さて、最近ようやく月例会の際のHP更新の段取りが手際よくなってきた。とはいえ、まだまだ初歩の段階なので、読んでいただく皆さんにはしんどい思いをさせているかもしれない。それでも、やはり何度も経験を積んでいくしかなく、もう少し勉強していかねばと思っている。わが北斗サーフホームページはほとんどが私の文章だが、そのあたりもまあ「公式」「オフィシャル」を名乗っているわけではないので許していただくことにして、今日は今回の月例会の後の更新ということで、その手順を少し書いてみる。

 まず、現地で撮った写真の確認。どの場面でどんな写真をとったかひとつひとつ覚えているわけではないので、その日の釣行を脳裏で再現させるためにも、そして釣行記にアップするためにも、写真の確認は大切な作業だ。幸いなことに、デジタルカメラには日時を印字する機能があるので、時系列の整頓が苦手な私には好都合。現地ではできるだけたくさん写真を撮っておいて、その写真を追いかけながら釣行を脳裏で再現させる。そして、釣行記にアップする写真の選択。選択した写真はパソコンの専用フォルダに一時的に保存しておく。次に、ホームページビルダーを立ち上げ、釣行記その他の作成作業。まずはやはり釣行記の文章と写真の貼り付け。できるだけわかりやすく作成したいので、文章は書いてから3度は読み返す。それでもアップした後に誤字が見つかることがある。釣行記ができたら、月例会結果報告の作成。月例会の順位や釣った魚などを克明に書く。大会の審査の際は釣り場責任者が審査会場での記録をメモしておき、あとから集約する。集約した結果は、広報部の有光氏に届ける。有光氏の方ではその結果を元に会報の記事にしてもらい、後ほど会員に発送される。月例会の審査の際は、有光氏が直接記録をとる。最近はホームページを作成しているので、その記録を私がメモさせてもらい、月例会結果報告に書いていく。2度手間だが、アナログ作業とデジタル作業の差があるので、これは仕方ない。さて、釣行記を書き、月例会報告を書いたら、次は会員のペナント情報を書き換えておく。そして、最後にトップページも更新する。これが一連の更新作業。すべてが終わったらいよいよUPし、今日のように力が残っていれば(^^;ブログを書いて作業を終了。

 って、どこのホームページ管理をされている人も同じような作業をされているのかな、きっと。でも、私がいろいろなホームページを見ていたときは、お気に入りのページがなかなか更新されずに寂しい思いをしたことがあるので、更新はできるだけ頻繁にやっていきたいと思っている。そして、北斗ホームページファンをどんどん増やしたい。ということは・・・・結局は釣りにたくさん行かなければならないっていうことだな。妻にも言っておこう(^^;

 次の釣行は、今週のどこかの平日。今度こそ乞うご期待!!

やっぱり・・・(;_;)

 今日は北斗サーフの月例会。詳細は後ほどUPする釣行記に書くとして、春のカレイは本当にむずかしいと痛感した1日だった。先日ブログに書いたが、私は確かにカレイ釣りが苦手であるが、魚がいない状況じゃ苦手かどうかの判別がつかない、それほど魚影の薄い、まるで真冬の釣りのような釣果。3~4日前に強風が吹き荒れたとき嫌な予感はしたのだが、気温もぐっと下がったと思われ、そのせいで折角春の陽気で水温が上がりかけていたのに逆戻りしたような水温の低さ。これでは、カレイはおろか、他の魚種も釣るのに苦労しても仕方ない。そんなわけで、今回の月例会は、月例会としては久しぶりのクラブ全体ランク魚なしという結果に終わってしまった。それでも、夜中から仮眠をはさんで一生懸命打ち返し、それでだめだったのだから、仕方ないとあきらめることにしよう。それにしても、HPを開設して以来、それなりに釣行記、月例会報告をしてきたが、今日のような日でもやっぱり釣行記は書くべきなのだろう。断腸の思いで書くことにしよう。って、おおげさかな?

 そんなわけで、釣行記はつまらないものになると思われますが、UPの際にはどうぞご覧ください。

今晩から月例会

 明日は1年間で12回の月例会があるうちの、数少ない貴重なクラブ単独月例会。わがクラブでは平成20年度は1月、この3月、8月がそれに当たる。最近は連盟・協会の行事に加えて他クラブとの合同月例会も年間2回組み込まれているので、クラブ単独で動く機会が少なくなった。他のクラブの方と交流できる合同月例会や、釣り場がある会場を自由に選べる連盟、協会の行事も楽しいが、クラブ水入らずの単独月例もまた良いものだ。

 今回の月例会は徳島県方面。本命をカレイかアイナメのどちらに置くか悩ましい場所と時期。先日のブログにも書いたが、アイナメはともかく、折角花見ガレイの接岸シーズンにかかってきているのだから、ここはカレイを狙わない手はない。私のように、イメトレをやってもボーズになるカレイ苦手会員にはリスクは大きいかもしれないが、とりあえず狙いはカレイで。ポイントは小鳴門、里浦、栗津、津田、和田島、岡川尻、椿泊と目移りすることこの上ない。今日皆と会って、どこに入るか相談しよう。この、相談する瞬間も月例会で楽しい瞬間のひとつであるし。

 それでは今から準備して、8時半には出発します。

 釣行記に乞うご期待・・・しない方がいいかも・・・(^^;;

号数アップ戦略

 サーフに所属されていない方には全く興味がない話題だと思うが、こんな目的意識ややりがいを感じてサーフという団体に所属しているのだということが、少しでもわかっていただければ書いてよかったと思うかも。

 現在の私の号数は大物209号、特別大物196号(3月申請現在で)。会友によく言われるのだが、私のように、大物号数が200号UPしているのに、特別大物号数がそれよりも少ないのはめずらしいらしい。号数がなかなかUPしない中、特別大物号数の方が多くなるのが普通らしいが、それは今までの私の釣りのポリシーに関係があるのかもしれない。特別大物の申請にしかならないとわかっている対象魚は、できるだけ狙わないようにしていたからだ。ただし、以前書いたように、私は結構号数よりも食部門で動く方だから、カレイ、カワハギ、マダイなどは食べるのが好きだからどんどん狙う。もちろん、カレイはBランク以上ががら空きだし、マダイはC、Dランク、カワハギもDランクが空いているから、狙う目的には合っているのだが、近郊でそのサイズはまず無理。それがわかっていても、いつもカレイの薄造り、マダイの造り、カワハギの肝薄造りを思い浮かべて釣りにいくのだ。やっぱり、食べておいしい魚を狙うのは、たとえそれが特別の申請になるとわかっていてもテンションが上がる。

 さて、その他の魚種で言うと・・・・・

イシモチ、ハゼクチはそれなりに狙えば釣れるのだろうが、号数が満願(すべて埋まっていること)である現在ではどうも触手が動かない。

エソはDランクが空いているが、それをわざわざ狙いに行くのも食べる楽しみがなく、もうひとつ動く気がしない。Dランクを狙うなら、やっぱり愛媛県なのかなあ。まあ、チャンスがあったらカワハギ、ヒラメなどとかけもちで狙いに行くことにしよう。

最近狙っているキチヌは、「わざわざ」という言葉をつけなくても狙えるから行っている。自宅から1時間弱。餌代も安いし、釣って楽しいと割り切っているから行ける。アタリがあっても乗らなかったり、バラシたりと、結構ゲーム感覚ではまっている自分がいる。もとより食部門は考えないようにしているし。とりあえず、クロダイ(キチヌ)部門は、あとDランクが1匹のみになったが、これは近々「あそこ」で片付けるつもり(^^;

アイナメもBランク以上がガラガラ。でもAランクでもアイナメは食べておいしいから狙い続けると思う。私の特別大物としては、クロダイに次ぎ2番目に多い魚種。かつての浜坂詣でが効いているのだが、なかなかそれ以上の大物は釣れない。よし、B以上はいつか必ず岩手でいわしてやる~。こう見えても、磯アイナメは得意なつもり。

シロギス・・・これは苦手。B、C、Dがまだ空いている。Bランクはあと1匹だが、なかなか釣れないもので・・・(^^; 

 さて、ここまで書いて、ではこれからの戦略はどのように考えているかというと・・・

 とりあえず、Aランクがまだ空いている、スズキとマゴチ。それに、キューセン。ヒラメもガラガラに空いているが、これはチャンスがあれば狙うということで・・・

 コトヒキ、ネズッポは、当分放っておくことにしよう(^^;

 とりあえず、今年は特別大物200号は間違いないだろうから、大物号数を230号を目標に頑張ろうと思う。誰か、一緒に行きましょう!!

 私の大物号数の詳細は、管理人のページから入ることができます。しょぼいですがどうぞごらんくださいませ。

とんでもhappenな釣り その5~誕生日編

 先日は息子の誕生日がらみのことを書いたが、今度は私の誕生日がらみのことを・・・

 サーフに入って20年、その間様々な魚を釣ってきたが、未だかつて、誕生日に大物を釣ったという記憶がない。いつかは申請日を誕生日の日付で大物を提出したいと思っていたが、昨年の誕生日にそのチャンスがやってきた。私の誕生日は10月5日。昨年のその日は平日であったが、昨年はその日が学校の「秋休み」にあたり、休暇をとることが可能になったのだ。まずはそのあたりの事情を簡単に書いておくと、私の学校が所属する自治体では、2年前から3学期制をやめて前後期制を導入している。それで、前期と後期の間にあたる10月の前半に3日の平日と土日をからめて5連休の秋休みを導入したのだ。誤解のないように書いておくが、その3日間の平日を休みにするかわりに、夏休みを3日間前倒しで8月28日に終了させているので、授業日数はしっかりとキープできているというわけ。一昨年はその平日休みが10月5日にかからなかったのでチャンスはなかったが、昨年の10月の秋休みは5日がぴったりと当てはまったのだ。それで、この日の釣行は、行き先はともかく年度当初に年間行事予定が決定したときから決めていた。

 その誕生日。行き先は熊野方面地磯、対象魚は大好きなカワハギ、キューセン狙いに決定。釣り場近辺には車を留める場所が狭いこともあって、妻の愛車「ライフ」で行くことにした。前日夜の9時に出発。途中熊野市五郷町にある「H釣具店」でマムシを2000円購入し、いつもの仮眠場所「熊野パーキング」に到着したのが午前1時頃。そこでとりあえず仮眠。朝5時に起きてトイレで洗顔し、車を走らせて釣り場に向かった。

 さて、目的の地磯には6時頃着。驚いたことに先客が数人いて一瞬不安になったが、どうもメタルジグで青物狙いらしく、日が昇ると同時に1人を残して移動して行かれた。一人は残られたが特に支障はないので、その方に声をかけその横で2本の竿を用意して釣り開始。この場所はカワハギメインで時折キューセンが来るといったポイントなので、私はとりあえずカワハギが釣れることを思って釣り始めたのだが、どうもこの日は違っていた。

 数投後に釣れたのは24㎝のキューセン。良い引きだったので水面に姿を見せたときは一瞬ランクを思わせたが残念。口ガカリだったので即放流。キューセンは釣り荒れをすぐに起こすので、ランク外はできるだけ放流することにしているのだ。そして数投後にまたキューセン。25㎝。んー、おしい! さあそれからが大変。次々にキューセンが来るもののいずれもランク外で放流の繰り返し。5匹目だったろうか。一際大きなアタリでようやく26㎝オーバーが来た。よっしゃ、写真、写真! あれ?カメラがない!! 携帯で撮ってもよいがピンボケ率が高い携帯なのでそれは危険。仕方なく縮まないようにタオルで丁寧に包み、クーラーボックスへ。そして入れてから忘れていたことに気づいた。「お! そういえば今日は誕生日やん!!」  やった! 初めてのバースデーランクだ!! 私はうれしくなって少々浮かれ気味であったが、まだまだ釣り時間はあるので頑張って投げ返す。横ではメタルジグの釣り人が粘っているが、釣果はない模様。色々な話をしながら釣りを続けるが、よくもまあ粘り強く金属片を投げ返せるものだと感心していたその時!!

 竿尻を浮かせるような大アタリが来た! 思い切りアワセるとズシッとした手応えが感じられる。これは大物かー、と期待に胸を膨らませながら巻いていると、あれ? 糸が左に走っている。え?何が来たん? と思いながら巻いていると「すみませ~ん、僕が引っ掛けました~。」と隣のメタジグボーイ。私の竿は大きく左にしなっている。おかしい。確かに魚の引きのような感触だったのに、アタリと思ったのはオマツリのせいか・・・ 私はがっくりきて、メタジグボーイがオマツリをはずしてくれるのを待っていた。すると・・・

 「こんな魚がついてますよー。 放流しましょかー?」と尋ねてきた。よくみるとメタジグボーイが魚をぶらさげている。そしてさらによくよく見てみると、なんとそれはでかいキューセンではないか!! メタジグボーイにとってはただの外道扱いの魚種だが私はそういうわけにはいかぬ。私は興奮している自分を抑えるように「いや、こっちで処理しますから。」と作り笑いを浮かべてそのキューセンをハリスでぶら下げたまま受け取った。重い! そしてどう見ても私のキューセン自己記録級。それでも私は「しょーもないもん釣れたなあ。」という風情で自分の釣り座に戻った。やっぱりあのアタリはこいつのものだった。そう確信しながら振り返ると、メタジグボーイは何事もなかったようにキャストしている。今だ! キューセンの長さを測ろう!! 別に隠し事をしているわけではないが、メタジグボーイにとっては何の値打ちもない魚種だろうに、大喜びして計測している自分を見られることにすごくはずかしさがあった。クーラーボックスに貼ってあるメジャーに乗せて見ると、なんと30センチジャスト。えらいことだ。新記録のCランクではないか。しかも、ボヤボヤしていたら縮んでCランクは水の泡。それで私はできるだけ縮まないように濡れタオルで丁寧に巻き、氷から遠い位置に入れて、道具を片付けてそそくさと釣り場を後にした。道中の大台越え169号線の長く感じたこと。それでも、こんなときこそ安全運転、と自分を言い聞かせ、右足首に言い聞かせて(つまりアクセル側の足)家に向かった。

 30.3センチ。滅多に釣れないキューセンの、しかもCランクが無事10月5日の日付で申請と相成った。自己記録更新。今年も待ってろよー、キューセン。 

 

苦手意識

 私には得意な対象魚、不得意な対象魚というのがある。もちろん、今ではレアとなりつつあるネズッポやコトヒキなどの魚種は皆さんがおそらくそうであると思うし、また、意外にそういう魚種は、その場所に行けば釣れる(可能性が高い)ものが多い。極端な例では、ハゼクチは大阪にいる以上誰にも釣れないわけで・・・

 今週の日曜日はクラブの月例会で、鳴門市から阿南市にかけてが範囲に指定されている。さて、そこで困っているのが何を狙うか。確実な線でピンポイントのアイナメなのだが、クラブ単独の月例会で、そこまでしてアイナメを狙って上位入賞を狙うのもおかしいし、私的にはそろそろ接岸するであろう花見ガレイを狙ってみたいと思っている。ところが問題は、私が極端なカレイコンプレックスを抱いているということ。それは決して釣りたくないというのではなく、狙っても釣れないことが多いのである。特に、マコガレイのランク物は、ここしばらくお目にかかったことがない。昨年の秋に松山・北条港で釣ったコッパガレイ改め30センチ級以来のことである。狙っても釣れない、釣れないから狙いに行かない、行かないから釣れない、の悪循環になっている。イメージトレーニングをしようとしても、3本の竿を投げ終えてアタリを待っても何のアタリもなく、気がつけば知らない間に時合いが過ぎていて、周りの誰かがその時間帯に釣れていて、私はそれに気づかずに納竿。こんなトレーニングしかできにゃいのである。だから、今回の月例会では、そのコンプレックスから脱却することを願って、あえて苦手なカレイ狙いで行こうと思っている。「管理人のページ」でも書かせていただいたが、私ほどカレイ、キスが苦手なサーフ会員もいないのでは?と自分自身で苦笑いするのが精一杯。あー、マコガレイが釣りたいよ~。

その名も「XT」!!

 私は釣りのバッグはS社のシステムバッグというのを使用している。最近このバッグを使用している人が随分と多くなり、釣り場で見かけることが多くなった。キャパシティが大きい上に丈夫が売りなのだが、私のシステムバッグの上層部のダブルファスナーが一個ずつ時間をおいて順番に壊れて、とうとう締まらなくなってしまった。私は結構物持ちが良い方と思っていたが、壊れてしまってはどうしようもなく、釣りのバッグをどうしよう、と途方に暮れていた。買い換えれば済む話だが、同じ物を買うのも嫌だし、かといって、他社の物は使いにくそう。ショルダー型やバッカン型はロッドケース、クーラーと同時に持ちにくい。だから、何を買えば良いのか悩んでいたのだ。ここ数回の釣行では壊れたファスナーをだましだまし使っていたが、そのフラストレーションはたまる一方だった。ところが・・・ついに出た!! S社から新型のシステムバッグが!!しかも今回はノーマルの物とXTなる高級仕様の物があって、それぞれM、Lに分かれているから、合計4グレードになったことになる。これを読んでいただいている皆さんにはこの気持ちはわからないかもしれないが、釣りのたびにバッグでフラストレーションがたまることがどれほど苦痛だったか。おそらくそれで釣果にも影響があったのでは?と思えるくらいだ。それで、たかがバッグのことで妻にグチグチ愚痴っていたので妻もあきれていたのだが、今回新型が出たというと、「もう、買ってしまえば?」とうれしいGOサインが出た。それでついに買ってしまった!! グレードはXTのL。コラム集に書こうと思ったが、今日はブログのネタがなかったので(というか、「誕生日」で精魂尽き果てたというか(^^;;; )このシステムバッグを紹介しておこうと思う。Cimg0294Cimg0295  Cimg0296_2

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 指に絆創膏の手が写っていて、見苦しくてすみません。キチヌの反撃に合った名誉の負傷です(^^;

 前のシステムバッグと違い、特にXTの表面生地は防水性に優れるとのこと。ダブルファスナーも止水式になっていてなかなかよさげである。下層部はリールインだが、今度の物はなんと6台もリールが入る。そして、防護クッションがしっかりしていそうだ。各室内には小物入れのポケットもついていて、小物の整理に役立ちそう。背負う部分には、疲れないように分厚いクッションがつけられてある。そして、バッグ全体でいうと、前の物よりしっかりしている印象を受ける。まだ使用していないが、次に使用したあとで、コラム集に追加してみようと思う。写真はクリックすると拡大されるので、ご参考にどうぞ。

誕生日 完結編

 その日は朝から大変蒸し暑い日だった。妻は手術のため前日から別フロアに入院していたため、息子には私が付き添っていた。そして、妻が無事退院するまでは、私が付き添いをすることになっていた。午前9時前、看護師さんが運ぶ息子が寝るベッドに付き添ってエレベーターに乗り、手術室があるフロアに移動した。手術室には直接入れなかったが、垣間見える手術室はとても広そうに見えた。そういえば、葛西手術のときに手術室に入る息子の記憶が全くない。それだけ、移植手術の記憶が鮮烈だったということか。だが、このときに同時に手術室に入ったはずの妻を見送った記憶もなくなっている。息子のベッドの横に、後から来る妻のベッドが並べられ、手術をするとのことだったはずだ。そして9時、手術室の扉が閉められ、いよいよ手術が始まった。私は横の待合所で待とうと思ったが、看護師さんに時間がかかるから一度自宅に戻られたら?と勧められて、一旦自宅に戻ることにした。

 この手術近辺の記憶が上にも書いたようにとても断片的だ。前後の日々が結構記憶に残っているのに、なぜか手術日当日の記憶が曖昧なのだ。だから、ここから以下はかなり曖昧な表現になると思う。ただ、自分でも奇妙なのだが、この病院から一旦帰宅する道中が思い切り鮮明に記憶に残っている。私はバイクを運転しながら泣いていた。涙でかすむ目に映る道中の景色まで脳裏に焼きついている。私たちは家族3人。そのうちの2人が同時に手術を受けているのだ。2人には頑張ってもらいたいという気持ちの向こう側で、残された私が何もできないもどかしさ、それと強烈な孤独感が私を襲っていた。そんな複雑な私の心境が、無意識の涙につながっていたのだろう。自宅に戻っても特に何もすることはなく、かと言って何をする気も起こらず、私はただボーっと時間が過ぎるのを待っていたような気がする。その日はとてもとても長い1日だった。

 手術が終わったのはその日の夜、病院から連絡があったか、自分から夕方ごろに病院に向かったのか記憶にない。そして、午後9時ごろ、手術終了の時間を待って、運ばれてきた麻酔で眠っている妻を出迎えて手を握ったのを覚えている。妻は苦しそうな顔で眠っていた。それとももう意識があったのか、それは本人に尋ねても定かではない。医師によると、手術は無事成功したとのことであった。実に約12時間かけた手術。この大学病院では2例目の生体肝移植とのことで、他の国立大学から医師を招いての大手術だった。医師に勧められてICUで眠る息子に会いに行った。息子は感染症を防ぐために無菌室に入れられていた。そのときに残っている息子の記憶。目が半開きのまま眠っているが、終わってよかったというほっとしている表情にも見えた。腹水であれだけパンパンだったお腹も、すっかりペシャンコになっていて、そして驚いたことになんとすでに黄疸が消えているではないか! 息子の本当の顔色を見たのは、このときが初めてだった。息子はとても色白なことがこのとき初めてわかった。これからは拒絶反応との戦いになるが、手術は大成功だったとこのとき医師に伝えられた。次に案内されたのが病理室。息子から摘出した肝臓を見るためだ。病理室に入ると主治医が息子の肝臓を見せてくれた。それは1センチ幅にスライスされていた。病理解剖のためだ。だが、解剖するまでもなく、素人目に見ても、とても肝臓とは思えないほど醜い色形だった。内部は本来は牛肉のレバーのような鮮やかな赤色をしているとのことだが、それは胆汁ですっかり緑色に変色していて、外側はゴツゴツとデコボコだらけのこげ茶色をしていた。この肝臓で今までよくもったものだと心の底から思った。このときの病理解剖室でのことは、ビデオに収め、現在でも大切に保管している。とりあえず・・・・成功してよかった。

 ICUから出たのがそれから約1週間後。妻もその頃には歩けるほどまでに回復はしていたが、まだ傷口が痛むようで、息子の付き添いができるには時間がかかりそうだった。それで、しばらくは私が付き添うことになった。私の職場の学校も9月1日に始まる。それから以後10日ほどの休暇をとって、私は病院で息子に付き添った。

 9月中旬、14日だったか、15日だったか、悔しいことにはっきりした記憶が残っていないが、星野阪神タイガースが優勝を決めた日。デーゲームの広島戦での赤星選手のライトオーバーツーベース、そして、星野監督の優勝インタビュー。すべて私は病室で観た。そのときの星野監督の優勝インタビューの一言目。私にとっても絶対に忘れることのできないものすごく重い一言を星野監督は言った。「あーしんどかった。」その一言を聞いた瞬間、私は目から涙が止まらなくなった。涙が後から後からとめどなくでてくる。星野監督のセリフが私たちの闘病生活のしんどさとオーバーラップして、阪神優勝の喜びと、手術が終わってほっとした喜びが私の中でも静かに爆発していた。そして、確か9月の下旬か、10月の上旬か・・・・息子は無事退院した。すっかり色白のかわいい男の子になっていた。

 息子は今ではすっかり元気になって保育園に通っている。ただ、毎日朝飲む免疫抑制剤は欠かせず、その薬だけが息子の過去の闘病を物語っている。医師には20歳になるまでは、拒絶反応の可能性が否定できないと言われている。妻の肝臓は奇跡的に息子に合ったようで、拒絶反応の症状はほとんど出ることなく現在に至っている。あれから5年の歳月が流れ、私たち夫婦の間でも、あの闘病生活のことはほとんど話題に登らなくなった。それでも、二人の心のどこかに、あのときのしんどかった病院での日々が確かに刻まれているのである。息子が無事成人することを祈りつつ・・・・

                 このブログ ようやく終わりです

誕生日 その3

 「肝移植しかないですね。」

 そう言われてもピンとこなかった。移植なんて自分の周囲であったことはないし、ましてや未来にもあるなんて思うはずもなかった。それがまさか自分の息子にされるとは・・・ 

 胆管が再構築されて胆汁は小腸に流れ込むようになった。ところが、4ヶ月の歳月は肝臓の機能を胆汁の毒素から守り切れなかった。胆汁の毒素に負けた肝細胞は次から次へと肝硬変の症状を起こし、もう残りわずかのところまできていた。肝硬変を起こした肝臓は再起不能となり、やがて肝不全となって命は途絶える。大きな手術を乗り切った息子に、またそれよりもさらに大きな試練が待ち受けていた。

 移植の方法は生体肝移植になった。生体肝移植の長所は脳死肝移植と違い、確実に新鮮な肝臓が手に入る。短所は、健康体にメスを入れなければならないこと。そういった説明を医師から受けた後、「ドナー」つまり元の肝臓の持ち主を選ぶことになった。ドナーは一番近い身内から順に適合するかどうか検討されていく。息子の血液型はA型、私はB型、そして妻はA型。必然的に妻がドナーに選ばれた。すぐにOKの返事をした妻は偉かったと思う。何しろ妻は今まで病気らしい病気もしたことがない、極めて健康な身体だったから。人生初の手術がよりによって健康なときにされる移植手術になるなんて、いかに息子のためとはいえ、ある意味不幸と考えざるを得ない。それでも、とにかく妻がドナーになることになり、慎重に検査が進められていった。肝臓は三角定規の長い方のものと同じような形をしている。そして、左右2つの部分からなり、幅の広い本人の右手側を右葉、狭い左手側を左葉と呼ぶが、その狭い方の左葉を移植することになった。ところが、その左葉の小さい方ですら、まだ息子の身体には大きくて移植できないらしい。ぎりぎりのところの選択だが、息子の身体がもう少し大きくなる約1ヶ月後の8月下旬に手術の予定が入れられた。とはいえ、肝不全が秒読み段階の息子に1ヶ月の時間はどういう意味を持つのか。何が起こるかは全くわからないけど、何かが起こるのではという不安が私にも妻にも確実にあった。

 まだ、手術の傷が癒えない息子の、手術までの闘病生活が始まった。その頃はまだ、この息子になぜさらに手術が必要なのかわからないくらい普通に見えたが、日が経つにつれて状況は変わっていった。腹水がたまりだしたのだ。そして、食欲がなくミルクを飲まなくなっていった。だが、手術を遅らせたのは息子の身体を大きくするための猶予であるわけだから、栄養を身体に入れないわけにはいかない。それで、ついには鼻から管を入れられて、4時間おきに「エレンタール」という栄養剤を入れられることになった。腹水がたまった息子は、カエルの腹に空気を入れたような、そんな腹になってパンパンになってきた。そんな腹になって、おいしくもないエレンタールを鼻から注入されていても、息子はいつも私たちや医師、看護師さんに笑顔を振りまいていた。そのけなげさにいつも涙が出てくるのであった。腹にたまった腹水は、前回の手術後に残しておいたカテーテルから抜き取ってもらう。腹水とはいっても実際には栄養分がほとんどであるから、抜き取りも慎重を期した。「もういい加減に抜いてやって。」と医師に言っても、なかなか抜いてくれないのだ。それでもこれで限界という腹になったときにはようやく医師が来て抜いてくれるのだった。1回目の手術から2回目の手術までに3~4回は抜いてもらったのではないだろうか。1回あたりに2Lペットボトル1本分くらい取れたと思う。それくらい腹水が出てしまうほど、肝臓には猶予がないということだった。それでも、土日は外泊許可が出て自宅に戻ることができた。でも、うれしいはずの外泊も、実際は地獄のような二日間だ。まず、そのときを見計らって家事や洗濯、そして自分の風呂と、することを素早く済ませなければならない。その上に、鼻からチューブを入れられたままの息子に4時間おきに夜も昼もエレンタール。4時間おきとはいっても、1回の注入に1時間半以上かかるので、実際には注入後2時間くらいで次の注入が始まる。しかも、毎回スムーズに注入できるとは限らず、もう終わりと思う頃にすべてを嘔吐し、その手入れもしなければならないことも多かった。夜は夫婦で交代できるとはいえ、妻も私も体力に限界があった。日曜日の夜には病院に戻らなければならない。戻ることが辛いはずなのに、なぜかほっとする自分が悲しかった。妻も同じだった。刻一刻と自分の腹にメスを入れられるときが迫ってくる中、様々なことをこなしていかなければならない妻は、私よりもはるかに辛かったと思う。ときには夫婦でぶつかって気まずくなることもあって、今から思えばもう少しやさしく接してやればよかったと思う。

 そんな辛い日々が過ぎていき、やがて手術当日8月22日がやってきた。

 ごめんなさい。もう一度「続く」にさせてください。この話が完結したら、また釣りの話題に戻しますので・・・・・m(- -)m

誕生日 その2

 今日は息子の誕生日の翌日ということで、たまには家族サービスでもせにゃならんということで、須磨海浜水族園に行ってきた。ただ、海方向に走るのにただで走る自分ではない。早朝6時に家を出て最初に目指したのは、平磯海釣り公園だった。時期は少し早いかもしれないが、そろそろカレイが釣れ出すのでは?という目論みだった。それに、最近はクロダイ系の魚しか見ていなかったので、そろそろ平べったい魚が見たくなったのだ。ただ、自分ばかりが釣りをすれば、二人にダシにされた、なんて思われかねないので、天秤カゴのメバル仕掛けも1セット持っていき、妻と息子にさせることにした。と、ここまでは良かったが・・・・・結局は1匹も魚の顔を見れずに昼頃に須磨海浜水族園に移動した・・・ まあ、釣果はともかく、とりあえずは3人でゆっくりと過ごした1日だった。

 そうそう、昨日の誕生日その1の続きのことだが、「続く」「その1」と書いた以上、なんだか書かなければならない義務感のようなものが芽生えてて、今日も家族と過ごしながら文章を考えていた。そして、記憶をたどってみたのだが、当時息子の闘病中は記録などをとっている暇など全くなく、したがって、自分のおぼろげな記憶をたよりに書いていかなければならないので、例によって時間の脈絡に矛盾があるかもしれない。そのことを自分自身で納得した上で、読んでいただく方の了解を得たつもりで綴ってみよう。

 息子が白いウンチをしたのが確か平成15年の6月20日頃。2日後に八尾市のI病院にかかって、それから約10日後の7月の上旬に大阪市内の大学病院で診察を受け、そのまま大学病院に入院することになった。妻は病院にかじりつきで、息子の付き添いをしなければならなくなった。数日に一度は私と交代することにしたが、不自由な生活が予想されることには変わりなかった。

 「胆道閉鎖症」・・・肝臓から胆のうを経て、すい臓からの水管と合流して十二指腸につながる管を「胆道」または「胆管」といって、肝臓で作られる脂肪分を消化するための「胆汁」を消化管に流し込むための管であるが、先天的にその管が存在しない、または細くて使いものにならない状態を、こういう病名で表す。もちろん、滅多にある病気ではない。もしこの病気(先天的なものを「病気」と言うべきなのかどうかわからないが。)になると、肝臓で作られる胆汁が消化管に流れずに逆流し、肝臓にたまってしまう。消化管に出ない胆汁は逆に毒素となって肝臓を冒してしまう怖い病気である。だから、胆汁が消化管に出ないと肝臓から血液に漏れ出て、それが黄疸という症状となって現れる。新生児はまだ肝臓の機能が落ち着いていないため、この黄疸の症状が現れるのだが、普通は数週間から1ヶ月で肝臓の機能が正常になるため、黄疸は消える。それがうちの息子の場合はいつまでたっても黄疸が消えなかった。にもかかわらず、産婦人科医の言葉が油断となって、生後3ヶ月までそのままにしてしまった。だから、あの白いウンチが息子の身体から出される精一杯のSOSだったのだろう。なぜなら、普通ウンチが茶色い色をしているのは、消化物に胆汁が含まれるからなのである。「胆汁が出ていないぞ。早くなんとかしないと肝臓が危険になるぞ。」そういう身体からのSOSだったのだと思う。肝臓の機能が停止すると人は生きていけない。肝臓は人工のものとは決して取り替えられない。事態は一刻の猶予もならない状態であった。

 息子の場合はまず、胆道を再構築して肝機能を取り戻すことが最大の目標となった。胆道の再構築手段は、「葛西手術」と呼ばれる、某大学教授の葛西医師が開発した手術法が選ばれた。葛西手術は、小腸を肝臓と直結して胆道の代わりになる管とし、胃からの消化管を、小腸-肝臓間にT字型に接続するというもの。こうすることによって、胆道も消化管も同時に維持できるということだった。まさか息子がそんな大掛かりな手術を受けなければならないなんて思ってもみなかったから、入院が決まって手術をすることなど知る由もない息子をベッドに寝転がせて、私は妻と二人でそんな息子を見つめるしかなかった。そのとき、闘病が長くなるようなそんな予感を二人とも持っていたと思う。二人とも不安で仕方なかったのだ。

 息子は様々な検査を経て7月下旬についに「葛西手術」を受けた。手術時間はかなり長く6時間くらいだったろうか。手術が終わってICUのベッドで眠っている息子を見て、二人ともとりあえずは胸をなでおろした。そして手術後初の排便。ウンチの色で手術の結果がわかる。茶色であれば、胆汁が出ているという証拠だ。結果は・・・わずかに茶色が回復していた。担当の看護士さんが病室に飛んできて、「お父さん、お母さん、茶色ですよー。」と伝えてくれた。よかった、これで治る。夫婦で喜びあった。ところが、喜びあったのもつかの間、数日後の診断で思いもよらない結果が私たち夫婦に伝えられた。「胆道は再構築できましたが、残念ながら肝機能はもう回復しないでしょう。残された手段はただひとつ・・・」

                                    やはり、続きます

誕生日 その1

 今日3月14日は息子の5歳の誕生日。ホワイトデー生まれとか、円周率生まれ、と呼ばれている。息子が生まれたのは、星野阪神が優勝した平成15年。大の阪神ファンである私は、それがゆえに息子の生まれ年を言えるというのが表向きであるが、平成15年といえば我が家にとって、息子にとって、誕生以外に大事件が起こった年でもあった。

 平成15年6月のある日、息子がウンチをしてオムツを取り替えているときにその事件は始まった。息子のウンチが真っ白なのだ。実は生まれてすぐにできる黄疸が、3ヶ月経っても消えないので、夫婦ともどもおかしいと思い、産婦人科医に尋ねたのであるが、ときどきあることだから心配されないように、とのことだったので、あまり気にも留めずにその日を迎えた。そしてそのウンチ。そのウンチを見たときは思わず夫婦で目を合わせた。誰が見ても、どう見てもそれは異変だった。あわてて妻は八尾市内にあるI病院に電話をし、後日連れて行った。血液検査やCT検査、レントゲンなどの精密検査を行った後、その診察結果が出るまで夫婦で待合室で待っていた。診察室がなぜかさわがしい。数人の医師が議論をしているようだ。何分待っただろうか。私たちは診察室に呼ばれた。やはり医師が数人いた。私たちはただならぬ空気を察知して医師の診察結果に耳を傾けた。「息子さんはどうやら重大な病気になられているようです。私どもの病院では治療しかねますので、大阪市内の大学病院を紹介します。」はじめ、そんな漠然とした医師の言い方に現実がつかめなかったが、大学病院の名前を聞いてこれは大変なのだとようやく実感がわいてきた。数日後、その大学病院に行き精密検査を受けた。そして、後ほど呼ばれた診察室にはやはり数人の医師がいて、その中の一人が説明を始めた。「息子さんの病名は・・・」胆道閉鎖症という病名だった。このまま放っておくと1歳の誕生日を迎えられないとのことだった。そして私たちは、現実をうまく受け止められないまま、その日から息子と私たち夫婦の、3人力を合わせた闘病生活が始まった。

 この続きはあまり書く自信がありませんが、とりあえずは「続く」とします。

再度の某所

 今は午前0時半。日付は変わってしまったが、今日(13日)の午後から時間が空いたので、クラブの萩山さんと兵庫県の某所へキチヌ狙いに行ってきた。明日の夜に行こうと思って、息子の誕生日であることに気づき、あわてて今日行ってきた次第。先日と同じ場所で同じ対象魚の釣行記を書くのも芸がないので、今回の釣行はブログに少しだけ書いておこうと思う。

 2人が到着したのは午後4時過ぎ。午後5時が干底なので、一番潮回りの悪い時間帯からのスタート。先日は満潮回りからのスタートでテンションが高かったが、今日は今ひとつのテンションでスタートしたので、あまり期待していなかった。でも、「先入観はいかん!!」の「格言」を自分で作っている以上、ここは頑張るしかないか!ということで、頑張った。午後6時半頃に初アタリ。それからは、2人で、30分置きにバタバタと2匹ほど釣れたらアタリが遠くなり、の繰り返し。食いが浅く、バラシも2人で4回ほどあってもったいないことをしたが、とりあえずは私がAランクを4匹、萩山さんがAランクを2枚という釣果だった。釣行記にも書いたが、3月初頭の一番狙い物が少ない時期に、こうやってまるで夏の釣りを思わせるようなシチュエーションでの釣りができるなんて、なんとありがたいことかと思った。遠征してもなかなか釣果に恵まれないことが多い中で、こういう釣り場は大切な存在だとも思った。次は23日に月例会があるので、再度ここへの釣行は微妙な状況であるが、チャンスがあればもう一度・・・・  と思って、釣具はいつも車のトランクに忍ばせてあるのだ~(^o^)/

とんでもhappenな釣り 4

 パチンコを打たれる方なら誰でもそうだと思うが、私はパチンコ屋に行くのに、1000円札一枚だけ持って行く勇気はない。1000円で出るなんてよほど運がよくなければあり得ない。パチンコにたとえると何か不純なように聞こえるが、それとよく似た体験を釣りでしたことがある。それはサーフに入って2年目のこと。

7月のある日、私は京都府の伊根に夜釣りに出かけた。狙いはシロギス、クロダイ、あわよくばマダイ。初めは観光船乗り場でやったが全くアタリがなく、場所を探すうちに、現在では波止ができて立派になっている通称「網干し場」に行き当たった。車は乗り入れられないが、足場がよさそうな良いポイントに見える。それで私は、網干し場の入り口に車を留め、護岸の中央に陣取って再び釣りを開始した。けれどもやはりアタリがない。とうとうあたりが白み始め、夜が明けだした。盛夏のこと、日が昇れば納竿せざるをえない。釣果がない私はハリの号数を落として、キスでも釣れればいいと思い再び釣りだした。すると早速アタリがあり、釣れてきたのは12㎝ほどのピンギス。「なんや、ピンギスか。」そう思ってハリををはずそうとした。ところがこのピンギス、ハリが口にかかっていてすごく生きがいい。それで私は、とりあえずキスを水汲みバケツに生かしておいて、少し大きめのハリで、1本バリ仕掛けを作り、生かしておいたキスの口にハリを引っ掛けて3~40mあたりに投げ込んでおいた。そのときのタックルは確か、サーフリーダーにチタノスエアロ8000。例の左巻きのあれである。あまり期待せずに放っておいたが、しばらくして「ガリガリ」と何かを引きずる音が聞こえてきた。ふと見ると、なんと先ほど投げておいた「ピンギス仕掛け」の竿だ。今から思えば、ドラグのない投げ専用リールなので糸は出ないから引きずられて当然。よく竿を持って行かれなかったことだと思うが、とりあえず私はあわてて合わした。何か重いような軽いような。それでも生体反応を感じながら上げてみると、なんと人生初のマゴチではないか。寸法は40cmを少し超えるものであったが、初めて釣ったマゴチにすっかり舞い上がり、そそくさと竿をたたんで家にすっ飛んで帰った。

さて、キスを餌にマゴチが釣れるとわかった以上、再度挑戦しない手はない。それで、石橋を叩いて渡る性格の私は、伊根のマゴチ狙いをする2日前にわざわざ餌のキスを確保しに泉南まで釣りに行った。ところがそんなときに限って食いが良く、餌にするはずのキスは、ほとんどがハリを飲み込んで上がってくるので、即昇天。ハリを大きくしたりして苦労の末に確保したのは10匹ほどのピンギス。まあ、ないよりまし。足りない分は現地確保で十分まかなえるだろう。そう考えた私は、クーラーボックスにセットしたブクにキスを生かして持って帰った。翌日、キスを見ると・・・おー、無事生きている。そのキスを見ただけでマゴチの姿が目に浮かんでは消えた。

翌朝10時頃、伊根に向けて出発。夕方に追加で餌のキス釣りをする算段だ。ルンルン気分で車を運転していた私は、ふと荷室の異変に気づいた。先ほどまで聞こえていたブクの音がしなくなっているのだ。あれ? 電池は朝取り替えたぞ。そう思った私は確認のために路側帯に車を留め、荷室のピンギスクーラーを確認しに行った。すると、やはりブクが止まっている。故障のようだ。これはえらいことだ。パニクった私はない知恵を絞って、とりあえず近辺の釣具店を探した。ところがこんなときに限ってなかなか見つからない。かくなる上は、伊根までのルート上にある、釣り餌店Mまで走ってしまおうと思い、アクセルを踏み込んだ。ところが残念ながら、釣り餌店Mに着いてブクを買ったときにはすでに遅く、キスは7匹が犠牲となっていて、残りの3匹もすっかり元気がなくなっていた。それでも私は気楽に「まあ現地に着けば確保できるし。」と思い、さほど気にも止めず伊根に向かった。

宮津を過ぎて海が見え始めたとき、私は海を見て愕然とした。泥濁りの高波が押し寄せている。これでは当初考えていたキスポイントは釣りにならない。まあ、伊根の湾内ならなんとかなるだろうと車を進めた。ところが、伊根に着いてさらに驚いたことに、湾内に濁りが入っている。実は私は、数日前に通過した台風の余波が残っていることを計算に入れていなかった。その台風は九州西岸から日本海側を抜けていたのだ。これでは、キス釣りはどこに行っても無理だろう。気持ち的に余裕がなくなっていた私は、どこかの釣具店に別の餌を調達しに行く考えすら思い浮かばなかった。それで、選んだ方法はピンギス釣り用に買った300円のイシゴカイオンリーで夜釣りに突入することだった。竿を出したのは例の網干し場横の道路上。それがまた、こんなときに限ってエサトリが活発。300円のイシゴカイなど、とっぷりと日が暮れた頃にはなくなっていた。結局、何も獲物がないまま、午後9時には車の中でふて寝を決め込んでしまった。

目を覚ましたのが明け方の4時。もう辺りが白み始めている。この時点で半分やる気をなくしていたが、とりあえずピンギスクーラーを覗くと、幸いなことに3匹のピンギスは生きている。私は気持ちを持ち直して、ダメ元で1匹目のピンギスをマゴチ仕掛けにつけ投げ込んだ。つもりだった。おかしい。オモリの着水音がしない。おかしいなと思いながら仕掛けを点検しようと竿を持つと、糸のテンションが真上から来ている。「あ!」気がついたときには遅かった。電線のことを全く頭に入れずに投げてしまったのだ。キスは道路上の電線にぶら下がり、ピクピクと動いている。あおってはずそうとしてもどうしてもはずれない。やけくそで思い切り引っ張ると、オモリまでは回収できたが、切れた仕掛けはピンギスともども電線にぶら下がったまま。万事休す。残りのピンギスは2匹。私は上空のピクピク動くピンギスに後ろ髪を引かれながら、残りの2匹のピンギスを2本の竿に取り付けて投げ込んだ。もちろん、電線に細心の注意を払いながら。このときにマスターしたのが「正座投法」。ご想像のとおりの投げ方だ。飛距離はせいぜい30m。でも、もう投げ返すわけにはいかない。ピンギスにこれ以上の負担をかけるわけにはいかない。私は仕方なく、三脚に2本の竿を立てかけて、その場に座りこんだ。

気がつくと、あたりはすっかり明るくなっていた。通りがかりのおばちゃんが近寄ってきて、「釣れるかえ?」と話しかけてきた。釣れていないことを伝えると「そうかえ。」と言って去っていった。おばちゃんが去るとき、確かにおばちゃんが竿尻を足に引っ掛けたかに見えた。竿尻が動いたのだ。「おば・・・」話しかけようと思ったとき、すでにおばちゃんが竿から離れているのに、また竿尻が動いた。「え?もしかしてアタリ?」ベールをフリーにしてやると、糸がスルスルと出て行くではないか!! 半信半疑で大アワセすると、ズシッとした手応え。首を振るような感触と確かな締め込み。それからはもう必死だった。カケアガリがきついので、それに引っ掛けまいと必死に巻いた。そして・・・ふと我に返ると、足元に大きなマゴチが横たわっていた。水面に上がってきたのも気づかずに巻き込んで、知らないうちに足元の草むらからマゴチを上げてしまったようだ。そのマゴチの寸法は忘れもしない拓寸「55.5㎝」。生涯で2匹目のマゴチは立派なCランクだった。そのときにへなへなとその場に座り込んでつぶやいた独り言を、今でも私は覚えている。

「役満は狙わんと、上がられへんねん。」(役満・・・麻雀用語。最高の手役。)

たった3匹のピンギスで見事に釣ったマゴチのことは、私はきっと一生忘れないと思う。

その後、何度かキスを30匹ほど確保して伊根に釣行したが、キジハタ、アオハタ、エソは釣れたものの、とうとう伊根ではマゴチは釣れずに現在に至っている。今は私にとって、伊根は遠い存在の釣り場になりつつある。今年は久しぶりに行ってみようかな。

1000円だけしか持っていなくても、出ることがあるパチンコの例えを絵に描いたような釣行だった。蛇足ながら、この話はその当時大阪協会の機関紙「あげしお」に投稿し、掲載された。平成2年の夏のことであった。

卒業写真

  あの頃の生き方を あなたは忘れないで・・・・

 今年も卒業のシーズンがやってきた。1年に1回、必ずやってくる行事だが、毎年感じることが少しずつ違っていて、自分でもおもしろいなあと思う。

 私が初めて教えた子ども達はもう39歳になる。最近あまり会うことはないが、普通に考えれば、その卒業生の「子ども」を教えていることもあり得るわけだ。そう思うと、自分も年をとったものだとつくづく思う。卒業シーズンで切なくなるのは、もちろん教え子が巣立っていくことの寂しさもあるが、それよりも、教えた子ども達がどんどん進歩して、高校から大学、社会人へと成長し、家庭を作って子どもができるまでになっていくのだなあと、しみじみ感じること。もちろん自分もそうやって人生を歩んできたわけだし、過去に卒業した子ども達が同じ道のりを歩んでくれた喜びもあるのは確か。でも、子ども達がそうやって進歩している間に、自分はそれに見合うくらいの進歩を遂げながら年を重ねてきたのだろうか。そんなことを考えてしまう切なさがある。あっという間に人生の半分過ぎまできて、自分は何かを残せただろうか。自分は何を思って生きているのだろうか。卒業式が終わるまでは、毎日そんな少し感傷的な気持ちのまま過ごすことになると思う。

 私が受け持つ3年生のクラスの最後の授業は、例年ギターを持って行って歌を歌うことにしている。今年の3年生は、どんな気持ちを持って歌を聴いてくれるのかな。少し楽しみ、少し不安。でも、気持ちを子ども達にぶつける気持ちでしっかり歌ってやろうと思う。

   あなたは私の 青春そのもの・・・

重油流出

 5日に起きた、明石海峡の貨物船沈没事故。起きてからずっと気がかりで、心を痛めている。事故に関与した3隻の船の乗組員は、過失とはいえ事故を起こそうと思って起こしたわけではない。何らかの責任を問われるのは明らかだと思うが、それよりも気になるのは海。大阪湾は、私たち関西圏の釣り人にとって、一番身近で親しみのある海である。釣り人の誰もが、まずは大阪湾で腕を磨いたのではないか。そんな、私たちの心の拠りどころである大阪湾・明石海峡が、沈没の影響で流出した重油で汚されつつあるのだ。沈没した貨物船には、まだかなりの重油が残っていると聞かされているので、それが漏れ出てさらに海を汚染するのではないかと気がかりでならない。先日のテレビニュースで、アジュールや大蔵海岸に打ち上げられた重油を回収しているシーンがあった。かつて、福井県で起きたロシアのナホトカ号の座礁事故で、福井県の沿岸に大量の重油が打ち上げられて多大な被害が出た。そのときに、地元の方が総出で油回収をしていたシーンを彷彿させる。私たちは折角サーフという大きな団体に所属しているわけだから、何らかの行動ができるのではないかと思えてならない。自分ひとりの力では何にもできないが、多勢で臨めば重油の回収の何らかの役に立てるのでは?と思う。今月の協会理事会で、そんな声が出ないかと期待しているのだが。

 それにしても、事故から5日ほど経ったとはいえ、ニュースの扱いがもはや小さくなってしまった。毎日、新聞に目を通すが、あまり記事が見当たらない。今、明石海峡ではイカナゴの新子漁の真っ最中。それに、そろそろ海苔棚の回収時期にもあたる。私たちは釣りという趣味の中で海に接しているだけだが、事故の影響でそれらに携わる漁業関係者の生活に影響が出ないか心配だ。そんな人たちのためにも、メディアはもっとこの事故のことを取り上げ、とても大きな問題なのだと世に訴えてほしい。もとの素敵な明石海峡、大阪湾に戻ることを、切に願っています。

タナボタ昇格

 私は夕べふとんに入ったときから考えていた。眠い目をこすってとったクロダイの魚拓がどうしても納得できなかった。それは寸法のことではなく、記録を残すべき魚拓の、肝心の尻尾と口先の写りがあまりよくないと思ったからだ。幸いにも魚はまだ冷蔵庫の中にある。死後硬直で取りにくいかもしれないが今夜はもう一度挑戦してみよう。朝起きたときからそう思っていた。今日の日中は子どもの相手をしながら釣行記づくり。釣行記を書いていると、夕べの楽しかった釣りが思い出されてウキウキしてくる。ホームページを立ち上げる前は釣りを文章に残すなんてしたことがなかったから、まだ新鮮さを感じているせいかもしれない。でも、こんなことならもっと早くに立ち上げておけばよかった。今はそう思っている。

 さて、夕方。リビングのテーブルの上にクロダイをのせてもう一度挑戦開始。紙は障子紙を切って使うからいくらでもあるのだが、とりあえず魚拓用紙のサイズに合わせて2枚切った。そして、墨を塗って拓取り開始。ところが紙を魚に乗せてから思わぬ大失敗。背びれに墨を塗るのを忘れていた。こんなミスは今までしたことがないのに、なんでだろ? 仕方がないのでもう一度墨をしっかりと塗り、今度はミスをしないように・・・そして、紙を構えたときに思った。これで失敗なら昨日の分を出そう。だめならまた釣ればいいか。そう思った。そして紙を尻尾からゆっくり乗せていく。胸びれのところまで乗せたところで、背びれ、尻びれを取る。そしていよいよ懸案の頭。上部からゆっくり乗せて口先へ。そして、下あごからエラの下部まで押さえる。最後に腹びれを返して写し取り、いよいよ紙はがし。口からそうっと紙を取っていくと、今度はうまく口元が取れたようだ。そして、胴体は?尾びれは? 大丈夫、うまくいった。私はあまり魚拓を取るのがうまい方ではないので、まあ自分的には上出来なものができたと思った。そして、寸法計り。あれ?昨夜よりも寸法が伸びた! 51.0㎝! 計った後、不自然さがないかもう一度チェック。これも大丈夫。はて?昨夜の魚拓はなんだったんだろう。眠い目をこすりながら取ったから、雑に取ったのかな? それで、めでたく寸法昇格となった。現在のところ、私のクロダイベスト記録は、51.0㎝ということになった。

 ところでそのクロダイ。持って帰ったら食べるのが魚の礼儀だと思っているから、とりあえず捌くことに・・・ 鱗が飛んだり、内臓が臭かったら大変なので、外の水道を利用。どうやら内臓も臭くなく、身もしまっていそうな良い魚のようだ。その後しっかり水洗いして台所の流しでおろした。メニューは造り、カマの塩焼き。どちらも大変美味だった。あとは後日のアラ炊きと例の好物「ムニエル」。誰に脂っこいと揶揄されようが、ムニエルはしっかり食くすつもりだ。ムニエルは見かけほど脂っこくはないから大丈夫なのだ。その切り身は今冷凍庫で静かに出番を待っている。

 クロダイ1匹で、これだけの文章が書ける。今までの思い出に残る魚も、こうして文章に残しておけばよかった。たとえヘタクソでも良い記録になっていただろうなあ。今回はつくづくそう思った。さあ、また「とんでもhappenな釣り」でも書くとするか。過去の釣行の記録発掘のために・・・

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とんでもhappenな自己記録

 昨日の釣行で、自己記録のクロダイ50.2㎝を釣ることができた。釣り場にまだ日が高いうちに到着して、第1投目にいきなりドラマがやってきたのだ。まあ、このことは改めて釣行記に書くとして、それにしても、号数200号越えしているのに未だDクロダイがなかったなんてお恥ずかしい限り。でもこうして1匹ずつ積み重ねていくしかないなと改めて思った。魚拓をとっているときに一瞬、自己記録一覧表をアップしようかなんて考えたが、よく考えてみればおはずかしい自己記録も多々あり、もう少し考えてから作成することにした。

 それよりも、昨日の釣行でとてもうれしかったのは、いつもネットやブログ等でしか「お会い」する機会がなかった方と、偶然にも釣り場でお会いでき、一緒に竿を並べさせていただくことができたこと。本当ならば私は同じクラブの仲間と釣行する予定だったのだが、事情があって結局単独での釣行になったこともあり、様子伺いとはいえ寂しい釣行になるのではと予想していただけに、「とんでもhappen」なとてもうれしい釣行になった。色々な釣りの情報を教えていただいたり、ときには「アホ」な話で盛り上がったりで、実質6時間強の釣り時間があっという間に過ぎてしまって、またこんな機会があればなあ、と心から思った。先日のこのブログで、出会いや体験がある釣行が好き、と書いたが、まさにそれを地でいく釣行になってよかった。ブログが正夢に繋がるのかも?

 よし! 頑張ってブログを書こう!!

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とんでもhappenな釣り 3

 北斗サーフに入って2、3年目の夏。三重県熊野市の阿古師神社前波止に初めて行った。夜はキスの大型、昼間はキュウセンやヨメゴチが釣れると聞いていたからだ。夕方に盾ヶ崎の遊歩道入り口のところに車を留め、重い荷物を担いで細い遊歩道を降りていった。この遊歩道を降りたことがある方はおわかりと思うが、行きも帰りも上り、下りがあり、石段が用意されているものの、荷物を担いで歩くには往復とも結構きつい遊歩道だ。20分くらいかけて、ようやく神社鳥居前の波止に着いた。ところが、1人で釣行した私はその後のシチュエーションを全く理解していなかった。暗くなって小波止には私ひとり。後には鳥居が立っていてその後が境内になっている。なんとなく不気味。そして、神社の横の雑木林ではキラキラ光る2つの目があそこにも、ほらそこにも。動物であるのはわかっているが、雑木林でガサッと音がするたびにギョッとして振り向く。そし て、悪いことに全くアタリがない。後のガサガサとアタリのなさが、私をソワソワさせる。

  しばらく我慢していたがそんな状況は一向に変わらず、「エエイ!もう止め止め!!」そう決断したが早いか、私はソソクサと竿を仕舞って元来た遊歩道を引き返した。引き返す道中もガサガサと音があちこちで鳴り、二つの目がキラキラ。怖いので足早に歩くが荷物を背負っている上に上り坂。遊歩道の中腹まで上がったときに、ついに息が切れて石段に座りこんでしまった。「もうええよ。動物さん、私を食べて。幽霊さん、私にとりついて。」そんな心境でうつむいて息をハアハア。そして、ようやく息が落ち着いて周囲を見渡す余裕ができ、顔を上げた途端に私は絶叫した。「ウワア!!」

  動物が襲ってきた? ではない。おばけ? でもない。周りを見渡すとなんとあたり一面にホタルの大群が!! 初めて見る光景だった。数匹のホタルがチラホラと飛ぶ光景は何度か見たことがあるが、あんな大群は見たことがない。私を取り囲むように、あたり一面ホタルの大群なのだ。私は思わず絶句して、周りに見とれてしばらくそこに座っていた。あたりがホタルの光で明るくなっている。今来た遊歩道もホタルの光で照らされている。木々はまるで、クリスマスツリーのように、キラキラと光が点滅している。あまりの素晴らしさに私は怖さと息苦しさを忘れて、息を殺してじっとその光景を見続けた。そして、そのうちに今までビクビクしながら釣っていた自分が急にあほらしく思えてきて、身体から力が抜けていくのがわかった。遊歩道を必死で上がってくるときは、担ぐ荷物の重さにたえるべくうつむいて歩いていたので、ホタルには全く気づかなかったようだ。

  この日は他の場所で釣るものの全く釣果がなく、朝になってから帰阪した。それでも、今までの釣行の中で「思い出に残る釣行ベスト3」に入るほど大変貴重な体験をした釣行だった。

釣果がなくても思い出に残る釣りはたくさんあるものだ。例えば、見知らぬ人との出会いや、思わぬ自然とのふれあいとか。釣果、ランク物とこだわる釣りももちろん必要だし目的意識があって良いのだが、私の場合はどちらかというと「出会い、ふれあい、体験」がある釣りの方が好きだ。もっともっとそんな経験をしてみたいなあ。最近はそんなことばかり思っている。いよいよ歳かいな。

テトロドトキシン VS 青酸カリ

 妻が私に言った。

「この薬、飲んどいて。」

そういって、妻は一粒の錠剤と水が入ったグラスを手渡した。いつもの胃腸薬と思って、私はポイッと口にその錠剤を放り込むと、グラスの水で一気に飲み込んだ。そして、妻に尋ねた。

「今の錠剤は、胃腸薬やんなあ。」

すると妻は言った。

「ううん、青酸カリやで。」

そう言って妻はにっこりと微笑んだ。

そうか、ついに私は青酸カリを飲んで死ぬことになるのか。そう思うが早いか、喉元が急激に熱くなっていった。

「ううっ、これが、これが青酸カリの威力か。」

徐々に喉元の熱さが増し、呼吸もできにくくなってきた。

「ううっ、息ができない・・・喉が熱い~・・・・・。」

 私は喉の熱さを感じて、はっと目を覚ました。ベッドの中だった。だが、本当に喉元が熱く感じて、夢であったことを理解するのに時間がかかった。時刻は午前2時。額は心なしか汗ばんでおり、呼吸も荒かった。

「おおー、夢でよかった。」

 そう思って私は再び眠りにつくべく、目を閉じた。しかし、目を閉じてもさきほどの夢が再現されて、なかなか寝付くことができなかった。喉元の熱さ、呼吸の苦しさ、それらがやたらとリアルな夢だった。

実はその夜、例のショウサイフグ料理を食べたのだった。「フグ」であることをかなり意識して食べたせいか、フグ毒のテトロドトキシンが青酸カリという名に変わって夢に登場したようだ。やはり、テトロドトキシンに対抗できるのは青酸カリだけということか。

朝になって、その夢の話を妻にしたら、なんともいえない笑いを浮かべていた。

その後、なんだか怖くて妻の顔をまともに見れなかった。釣りに行ってばかりいないで、たまには家族サービスもしないといかんなあ。正夢にならないうちに・・・・朝食を食べながら、私はつくづくそう思った。

 ちなみに、妻の職業は薬剤師。妻曰く、テトロドトキシンは青酸カリより強力で、しかも、中毒で死ぬ直前まで意識がはっきりしているそうだ。そうか。もしかして夢の中で飲んだのが、青酸カリでよかったのかな・・・・なぜかそう思う自分が滑稽だった。

 随分とおどろおどろしい題名ですみませんでした。

「ふぐたろう」の歴史

 ホームページのハンドルネームで使っている「ふぐたろう」。この「ふぐたろう」との付き合いは実は結構長く、始まりは大学1年にまでさかのぼる。大学で音楽系のサークルに入部したのだが、そのサークルではニックネームで部員どうしを呼ぶ習慣になっていた。入部した最初のミーティングでそのニックネームを決める儀式のようなものがある。そして、その場で先輩から新入部員にいろいろな質問がされ、それをヒントにニックネームを決められる。初めは、名前が「ヨシノブ」なので、徳川慶喜にちなんで「将軍」なんていうニックネームも候補にあがったが、「そんなかっこええ名前はあかん。」と即座に却下された。もちろん私自身も、そんな仰々しい名前は嫌だと思ったのでほっとしたのだが、ほっとしたのもつかの間、「好きな食べ物は?」と聞かれてふぐ鍋、つまり「てっちり」と言ってしまった。それで、あまり検討もされることなく、そして反論の余地もなくその名前に決められてしまった。初めは恥ずかしかったが、皆がそう呼ぶし、同じ学科の友だちにまでその名前で呼ばれるようになり、照れくさいものの、そのおかげか友人がたくさんできた。進級して後輩ができても、「てっちりさん」「てっちり先輩」となって慕ってくれたので、その頃には自分でもすっかりその名前に染まっていた。おまけにキャラクターデザイン「FuGuマーク」まで作って、サークルの日誌等に書き込むようになっていた。

今も、当時そう呼ばれていたなんて人に言うのが恥ずかしく、あまり公表していないのだが、おかげで大学の4年間は本当に楽しく充実した時間を過ごすことができたから、自分にとっては「てっちり」様々だったのだと思う。

 さて、教員1年目の春。同じ新卒の職場仲間が、自分のキャラクターを作って生徒向けの通信やプリントに書いているのを見て、自分もやってみようと思った。そこで思い出したのが「FuGuマーク」。ただ、「てっちり」という呼び名はなんだかやっぱり恥ずかしかったので、考えに考えたあげく思いついた名前が「ふぐたろう」。自分で思いついただけにすごくしっくりきて、すぐに好きになってしまった。やがて学習プリントの点検の際に、検印ではなく手描きでそのFuGuマークを書き込むようになった。キャラクターを作っておくと、自分が直接生徒に言うよりも当たりがやわらかくなる利点がある。「・・・とふぐたろう君も言っているよ。」というように。だから、生徒にもすっかりふぐたろうというキャラクターは浸透してしまった。たまに会うかつての卒業生にも、「先生、まだそのマーク使ってるんや、好きやなあ。」なんて言われている。

 現在もそのマークは使用中。しかも現在では進化し、それが実際にスタンプとなって生徒のプリントに登場している。自分で言うのもなんだが、このスタンプを押してもらいたくてプリント学習を頑張る生徒の姿を見ると、「おー、“ふぐたろう”様々やなあ。」なんて思う。

そんなこんなで、ふぐたろうと私の付き合いは、今年でついに25年目を迎えることになる。「こんなマークを使って、先生はオチャメやなあ。」なんて生徒も先生も言うが、そのたびに「これは先生の分身やから。」と言って笑っておく。まさか、ホームページでその名前が公開されることになるとは、自分でやっていながら全く想像もしなかったが、これもまた意外に自分でしっくりときているのでよしとしよう。ふぐたろうが健在な限り、北斗のページも健在ということで・・・。ふぐたろう共々、下の写真のスタンプもどうぞお知りおきくだされ。

Photo

左利き

実は私は、半分左利きである。半分とはなんぞや?! とお思いの方がおられると思うが、要するに箸や鉛筆などは右手で持つが、使う道具の中には左手を主に使うものがあるのだ。「主に」なんて書けばまたややこしくなるが、ハサミ、ノコギリ、ペンチ、包丁は主に左手、場合によって右手で使う。ハサミを左右両手で二丁持ち、紙を下から切って左右対称のハート形を切ることだってできる。私はごく当たり前のつもりなのだが、人はそれを「特技」なんて呼んでくれる。本人にその自覚がない以上、そんな言葉はこそばゆい以外の何ものでもない。最近のブログに書いた二丁の包丁の話。サウスポー用の包丁があるらしいが、私のものはごく一般的なものだ。ご存知のように、柳刃、出刃は片刃なので、普通のものを左手で用いると不都合が生じる。それでも私は左右両方で使う。出刃の場合、頭落とし、3枚おろしは左手で、腹骨のすき取りは右手を使う。刺身の場合は、平造りは左手、薄造りは右手。料理中、頻繁に包丁を左右持ち変える。もちろん、専門の方が見れば極めて奇妙な光景に見えるだろうが、私にはそんなの関係ねぇ~って感じ。ようするに自分が納得しておいしい料理が作れればそれでいいと思っている。

さて本題。色々なホームページや掲示板のやりとりで物議を醸すが、私のリールは左巻きである。これは別に私が左利きであることが理由ではない。私も北斗サーフに入る前は右巻き用だった。ところが、覚えている方はおられるだろうか、S社からチタノスエアロGT8000という左右専用設計のリールが出たことを。確か、R社のセラテックシリーズもそうだったような気がする。私はどうしてもそのチタノスエアロがほしくて釣具店を駆け回ったが、そのときたまたま左巻き専用のものしか置いていなかった。それでせっかちな私は、「えいっ!いっそのこと、左巻きにしてしまえ~」という具合で左巻きを購入、他のリールもハンドルを付け替えて左巻きに変えてしまったのだ。そして初めは巻きにくいと思ったが、慣れると「投げる」から「ベールを起こして巻く」にいたる一連の動作が、とてもスムーズにいくことに気がついた。そして今ではすっかり左巻き信仰になっている。クラブ員とともに竿を出したときも、私が他の作業で手が放せなくて「ちょっと糸フケとっておいて。」とクラブ員に頼むと、「もう、巻きにくいなあ。」と愚痴をこぼしながらぎこちなく巻いて糸フケをとってくれる。そんなとき私は、「左巻きの方が楽やのに~。」なんて思ってほくそ笑みながらその光景を眺めているのである。

 

 おっと、本題と言いながらこれは左利きのテーマからはずれたかな。

 それでは質問。 

1 あなたは餌をハリにつけるとき、左手に持つのは

       ① 餌   ② ハリ

2 あなたは魚からハリをはずすとき、左手に持つのは

       ① 魚   ② ハリ

3 あなたはサルカンを結ぶとき、左手に持つのは

       ① 糸   ② サルカン

 

これって、結構色々なパターンがあると思うのだが、皆さんはどうだろう。

ちなみに私の答えはすべて ②  自分では普通と思っているが、きっと世の中は逆の人が多いのではと思う。

右利きの人は、上の答えがすべて①なのかどうか知りたい今日この頃である。

相棒

 北斗サーフに入ってから約1年後だったと思う。私に相次いで2つの相棒ができた。それは釣り具関係のものではない。では何かというと、二丁の包丁である。それまでは文化包丁で魚を捌いていたが、どうも具合が悪く困っていた。頭や中骨をうまく切れず、刺身もうまく切れない。それでそのことをある方に話したら、一丁の柳刃包丁を贈ってくださった。それは、堺の有名な包丁職人が手作りした銘品であった。私はうれしくて、元々魚を捌くことが嫌いではなかった私はますます魚を捌くことが好きになった。ところが、下ごしらえをするためには、やはり柳刃包丁ではなく文化包丁でもなく、出刃包丁が必要だ。それで、柳刃包丁をいただいた約1年後だったと思うが、今度は自分で出刃包丁を購入した。出刃包丁の方はそんなに予算もなかったこともあり、廉価版のものであった。確かホームセンターのようなところで購入した気がする。高級柳刃と廉価版出刃。この二丁の包丁が、私に魚料理に夢中にさせていった。また、包丁を使うには必ず砥石が必要だ。それで、ホームセンターで中目と粗目の砥石を購入して自分で研いた。最初はなかなかうまく研げず、研ぐと逆に切れなくなったりしたが、それでも一生懸命研ぐ練習をし、なんとか形だけは研げるようになった。

 実は、その二丁の包丁はいまだに私の相棒だ。もう購入して15年以上経ち、柳刃の方は刃渡りが2センチほど短くなってしまった。出刃の方は研ぐのが難しく、今でもうまく研げないので、研ぐ部分がいびつになっているような気がする。でも、この二丁の包丁があるから、私はいつでもおいしい刺身やその他の魚料理が作れ、食べられる。見かけはあまりうまく作れないが、魚が新鮮なので見かけ以上においしい魚料理が食べられるのだ。購入から15年経って、握るとしっくりと手に馴染み、料理をする気にさせられる二丁の包丁。私が北斗サーフに入っている限り、いや、投げ釣りを続けている限り、この二丁の包丁を大切に使っていきたい。釣った魚はできる限りおいしく食べる。これが私の信条だ。

 相棒達よ、これからもよろしく頼む。

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釣行記

 ホームページの管理をしていると、意外に大変なのが更新、なんて当たり前なのだが、それはようやく最近になって実感しだした。自分がホームページを持つまでは、様々なクラブや個人のホームページを拝見させていただいて、胸をワクワクさせながら釣行記や月例会の報告を読ませてもらったものだ。それで、いつかは自分もホームページを持つのだといつも思っていた。そんな話は以前、「投げ釣りスパイラル」のTsuchyさんにも話させていただいた記憶がある。確か、例の渡波釣行のとき。ホームページ管理の大変さを酒の席で話してくださった。Tsuchyさんはもうホームページ作りのベテラン。なので、そんな経験談を身を乗り出して聞かせていただいた。その後、ずっとホームページのことを思い続けてきた。だがなかなか踏ん切りがつかなかった。それは自分の性格にも起因する。意外に大雑把なくせに、人前に出る、とか発表する、とかになると、とことん石橋をたたいてしまう。悪い性格だとは思わないが、そんな性格のせいできっと色々なチャンスを逃すこともあったかもしれない。それに、気が向いたらとことんいくくせに、気が向かなくなったら何でも放ったらかし、という自分の一番悪い癖。開設しても管理を放ったらかしにしてしまうのでは、と自信もなかった。

 このたび、北斗サーフの会長に就任。その際に、やはり気になったのが後継者育成とクラブ情報の発信。そういった危惧が後押ししたのか、ようやく踏ん切りがついてホームページを作成開始。だが、前述の性格のせいか、作成開始から公開まで実に1ヶ月半もかかってしまった。1週間くらいで大方の構成は出来上がったが、それをプリントして色々な人に意見をいただいたり、と、かなり石橋をたたいてしまったのだ。そして、いざ開設した後も、こんなページでよかったのだろうか、と今も考え続けている。

 現在は、まだ開設から1ヶ月もたっていないので、釣行記やブログの更新など、まだ気が向いて書き込んでいるが、どこまで続くことだろうか。心配ではあるが、あまりプレッシャーは感じないようにしてボチボチ更新していくことにする。もしかすると以前の自分のように、北斗のページの更新を今か今かと待ってくださっている方がきっといることを信じて。

 ただ、釣行記を書いていて自分でプッと吹き出したのだが、自分は釣りが好きで釣行記を書いているのか、釣行記を更新するために釣りに行っているのか、わからなくなっている。「釣りに行かねば!」のプレッシャーがあるなんて、おかしいことだ。でも、それも悪くない。自分を信じて頑張って釣りに行き、更新あるのみ!!

 付け加えだが、くだんのショウサイフグ。調理をお願いするとやはり中毒のことがあったりで、引き受け手がなかったようだ。でも、ちゃんとてっさやから揚げにして胃袋に収まった。どうやったかって?  それはヒ・ミ・ツ*(^o^)* ホームページの更新が途絶えたら、それはフグ毒に当たったってことかも? なんてね。ふぐたろうがフグ毒に当たったなんてシャレにもならないか。いや、シャレになるかな?

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