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2008年2月

明日午後から

 明日は学年末テスト。で、午後から休暇をとって土曜日にかけて元会長萩山氏と釣りに出かけます。今までその準備に追われていました。行き先は南方向の予定です。また、「アホのひとつ覚えバージョン」になるのでしょうか。もし釣れたら、久しぶりに個人の釣行記を書きたいと思います。

 ブログ開設以来、毎日欠かさず文章を入れてきましたが、明日はさすがにお休み。気が向いたら携帯からブログの書き込みをしたいと思います。いつも訪問してくださっている皆様、本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしく!!

魚にとりつかれてる?

 大学入学当時から、卒論は魚類に関するものと決めていた。

私は小さい頃からいろいろな生き物を飼ったり植物を育てたりすることで、生物が好きになった。その延長で魚釣りをするようになって、なお一層魚のことが好きになっていった。小学5年生のある日の授業中に、私はよりによって一番前の席で魚釣りの本を読んでいてひどく叱られたことがある。今から考えれば「勇気ある行動」だが、当然のように担任から家庭連絡をされているので、帰宅して母から追い討ちをかけるように思い切り叱られた。そのとき母に「あんたは魚にとりつかれてるんと違う?」と言われたことが今も鮮明に記憶に残っている。そういえば、叱られて取り上げられた釣りの本の著者は、服部善郎さんだったような気がする。

とりつかれているかどうかはわからないが、大学は本気で水産大学、水産学部を考えていた。今でもそう。某水産試験場でマグロの完全養殖に成功した、なんていう記事を読むと、「それ、ほんまはオレの研究成果になるはずやってんで。」と本気で思っている。縁あって、教師になることを決意した私は教育大学に入学し、教壇に立つ道を選んだ。それでも魚類の研究には後ろ髪を引かれるものがあった。ところが、教育学部の卒論テーマは結構自由に決められるということを入学のときに知り、前述の決意につながった。

さて、大学4年生の春。卒論のテーマは魚類に関するものと決めていたわけだが、それだけではテーマにはならない。それをいかにして教材につなげるか、という部分がもっとも大切だからだ。それで私は小学校の教科書を改めて開いてみた。すると、5年生の教科書にメダカをテーマにした単元があった。その単元を見ると、メダカの体のつくり、雌雄の違い、飼い方、増やし方などがのっている。そこでふとひらめいた。メダカがどんなところに住んでいるのか知っている子はどれくらいいるだろうか、と。私が卒論を書いたのはもう20数年前になるが、その当時すでに野生の「クロメダカ」を見る機会はほとんどなかったので、子どもはおそらく野生メダカを見たことがないのでは?と思ったのだ。事実、教科書のメダカも「養殖ヒメダカ」が扱われていた。そこで、自分が見つけられるかどうかを確かめたくて、大学がある町の郊外に出てメダカ探索をしてみた。やはり、なかなか見つからない。しかし、自分自身も誤解していた部分があって、メダカは意外に大きな川よりも水田横の細い水路などに生息してたり、ときにはその水田に入りこんでいる場合もある。これは苦労の末に見つけた場所がそういった場所だったからわかったことだが、こういった自分自身の誤解がきっと教材になる。水路のメダカを発見したときに私は卒論テーマに明るい光が見えた気がした。メダカを教材として、教科書にはない私オリジナルの授業を繰り広げている自分の姿が脳裏に浮かんでいた。

 

             あ、このテーマは「続く」にした方がいいのかな。

とんでもhappenな釣り 2

 尾鷲の三田火力発電所をご存知だろうか。この名前を聞いて、「あ、矢ノ川尻やん。」なんて思える人はサーフ暦が長い。私が北斗に入った直後の数年は、冬になると毎年のように矢ノ川尻フィーバーが起こっていた。もちろん対象魚はコトヒキ。大物対象魚の分類では「シマイサギ」になっているが、その中で本当の「シマイサギ」と「コトヒキ」に分けられている。2魚種は模様が違うのですぐにわかる。なぜこれらの魚が対象魚になったのか、ある意味地域性がある魚種なのでランクサイズのものを釣るとなると、それなりに遠いところまで行く必要がある。それが大物魚種に数えられているのだから、全サのメンバーは号数稼ぎに苦労するのである。ほら、そこのあなたも・・・でしょ?

 矢ノ川尻は三重県尾鷲市にあるが、当時はその河口にある三田火力発電所から暖まったタービン冷却水、つまり温排水が直接流されていた。だから冬でも水温は非常に高く、気温の低さと相対して、手をつけるとあたかも湯につけているような錯覚に陥ったものだ。

 ある年の4月、そんな矢ノ川尻に私は釣行した。私は釣り場の混雑が嫌なので、冬の最盛期に行くのは気がひけ、もうだめだろうなと思いながらもフィーバーが収束し始めた春に釣行したわけだ。その当時は今のようなきれいに整備された護岸ではなく、石垣を交えた昔からの護岸になっていた。背中側にあった藪の中にはタヌキ夫婦?が住んでいて、よく持参した弁当のおかずを分け与えてタヌキ夫婦には感謝?されていた。そんなタヌキ夫婦が住む護岸に着いたのが午後7時。夕マズメの時合いは終わっていたが、ここは時間よりも潮が高いときがチャンスになるので、午後8時半に満潮を迎えるこの日は、まさに着いたときが絶好のチャンスであった。さっそく当時愛用していた振出しトライビームの30号を3本セットし、イカの切り身をつけて投げ込んだ。スタンバイOK! 

 ところが、しばらくしてもアタリがあるものの餌が取られるだけで餌取りの正体がわからない。この場所で餌取りは何だろうか、なんて考えてながら投げ返したが、チョンチョンと当たるだけで乗らないのである。おかしいなと思って1本の竿をスーッと誘いをかけてみた。すると突然竿が引ったくられ、強烈な締め込みがきた。え?と思って巻き上げてみると、なんとBランクのコトヒキ! 餌取りの正体はコトヒキだったのだ。コツを飲み込めた私は、投げては誘い、また誘い、を繰り返した。そうすると、誘いをかけた直後に必ず乗るようになった。3本誘いをかけたら3本とも魚が乗って、3本の竿で股間を交互にたたかれて痛かった。結局その日は8時半の満潮までにCランクを含めてランクサイズが計10匹。たった1時間強の釣りでホクホクした私はスタコラサッサと帰宅した。ちなみに、そのことを有光氏に話すと、翌日に仕事を休んで出撃して13匹の収穫! その後1週間の間に、クラブ員が釣行しまくったのは言うまでもない。

 今では発電所からの温排水が冷やされてから流されているとのことで、コトヒキは釣れなくなった。まあ、温排水が自然に与える影響を考えると、正しい選択だったとは思うが、サーフの仲間うちでは「正しくない選択」と思っている人も多いことだろう。私も大物台帳ではDランク2匹とCランク1匹がまだ残っている。Dランクの実績もあっただけに、フィーバーしている間に釣っておけばよかった、と後悔しても後の祭り。まあ、これだけ釣れたのだからよしとしておかないとね。

 ちなみに、尾鷲湾はコトヒキの多い海域である。事実、磯からのグレ狙いの外道で来ることが多いらしい。温排水が出ている矢ノ川尻にはやってこなくなったが、コトヒキ狙いでは尾鷲湾が狙い目かも? どなたか作戦会議をしませんか?

スズキのムニエル

 今夜のおかずは、紀ノ川スズキ第3弾! スズキのムニエル。前回、クロダイやニベのことをミソクソに書いてしまったが、どっこい! 実はクロダイ・ニベでもムニエルにするととってもおいしく食べられる。特に夏場の川尻で釣れたクロダイやキチヌはぬめりに独特の匂いがある上に水っぽく、さすがの刺身好きな我が家も無理に刺身ではいただかない。無理して塩焼きや煮つけにしても、なんとなく水っぽさを感じるので食べるのに気が引ける。そこで登場するのが「ムニエル」。水っぽくなく、夏場の川尻クロダイ・キチヌも、こうすればおいしく食べられるので、皆さんにお勧め!! しかも、切り身にして冷凍しておけば、おかずがないときに重宝するので、さばく手間さえ惜しまなければ(クロダイは腹を割った瞬間にやる気をなくすほどの臭い匂いを放つ個体もあるが、これを我慢すれば・・・という意味(^^;   )おかずのストック間違いなし。夏場にたくさん釣れるキチヌも、皆さん是非嫌がらずに食べてほしい。でも、できれば下処理は釣り場でしておいた方が、奥様の小言が少なくて済むかも。ここまで言い切った以上責任を感じるので、我が家なりのレシピを書いておくのでご参考に。

  1.  (冷凍した)切り身は自然解凍がよい。食べる分だけ調理する数時間前に冷凍庫から出しておく。
  2.  解凍したら、両面に塩コショウをする。そして、これがポイントだが塩コショウの後に粉バジルをすり込み、粉パセリもかけておく。
  3.  塩コショウ・バジル・パセリの後すぐで良いので、牛乳にヨーグルトを少しまぜたものに、切り身を浸しておく。バジル&ヨーグルトで生臭さは完全除去!!
  4.  30分ほど浸したら、水分をよく拭き取って小麦粉をまぶす。余分な粉は丁寧にはらう。
  5.  皮面から強火で焼く。生臭さの元の皮が、カリッと焼くことで香ばしい絶品に変身する。
  6.  裏返して中火にしてじっくりと焼き上げる。おおー、書いているだけでヨダレが。
  7.  レモンがあればベスト。食べ方はタルタルソースで良いが、お好みでサラダ用ドレッシングなどでアレンジしてもおいしい。付け野菜はお好みで。ちなみに我が家は、レタスまたはサニーレタスがお気に入り。

  まあ、どこのご家庭でもムニエルは調理されると思うし、それぞれのご家庭のやり方におまかせ。参考程度にしていただければ。付け加えだが、汽水域ではないきれいな海域で釣れたクロダイは、刺身はとてもおいしい。昨年兵庫県のアジュール舞子でクロダイが釣れたときは、「赤い魚」じゃなくて少しがっかりしたが、刺身は歓声が上がるほどおいしかった。どこで釣れた魚でも、釣り人の基本はやはりおいしく食してあげること。写真をとったり魚拓だけとって放流なら良いが、死んでしまった魚はやはり食べることで供養してやろう。Cimg0140

ドルトン

釣りネタばかりで、「オマエは仕事しとんのんかい?!」とお叱りを受けそうなので、たまには知的に仕事ネタを・・・

 今、2年生の理科は「化学変化と原子・分子」という単元を学習している。「物質はすべて、小さな粒“原子”からできている。」という原子説を最初に提唱したのは19世紀初頭のイギリスの科学者ドルトンである。原子・・・名前はよく知られているが、その実態や大きさは意外に実感できない。例えば、銅原子をテニスボールの大きさと仮定すると、テニスボールは地球の大きさに匹敵する、と言えばおわかりだろうか。また、1円玉を構成するアルミニウム原子は、220亥個になると言われている。(亥・・千・万・億・兆・京のもうひとつ上の桁の表し方。)そんな小さな原子は今でこそ電子顕微鏡で見ることができるが、電子顕微鏡はおろか、普通の顕微鏡ですら発展途上だった19世紀に、決して見ることのできない原子をドルトンは自信を持って存在すると言い切った。しかも、今ではその当時のドルトンの「原子説」がほぼ正しかったことが立証されている。19世紀初頭といえば日本で言えば江戸時代。そんな時代にドルトンは「原子説」である。なんと偉大な科学者であろうか。しかしながら、当たり前のことだが、悲しいことにドルトンは生前に原子の顕微鏡写真などを見ることはなかった。はかなくも悲しい事実であるが、唱えた本人はその実物を見ていない。私はできることなら天国のドルトンに会いに行き、「ドルトンさん、あなたの説は正しかったのですよ。これが証拠写真です。」などと言って、電子顕微鏡写真を見せてあげたい。写真を見た瞬間のドルトンの喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。

 昔の科学者にまつわる悲しい逸話は多い。新しい説を提唱すると、ほぼ間違いなく変人扱いされ、場合によっては処罰されたりもした。コペルニクスが地動説を唱えたときも、キリスト協会から激しい弾圧を受けた。神が住まわれる地球は全天の中心にあるのだ、などという科学的になんの根拠もない理屈のためにである。しかし、そんな圧力などものともせず、あるいは命を落とす危険を冒してまで新しい説を唱え続けた科学者がいたおかげで、今の科学は成り立ち、そして日々進歩している。そんな科学者に敬意を表しつつ、私はこれからも理科を教え続けていく。知識ばかりではなく、そんな科学者の偉大な実績を生徒に語っていきたい。そして、そんな生徒たちの中から、第2のドルトンのような偉大な科学者が育ってくれれば言うことないのだが・・・・・

 

 ドルトンに合掌・・・・

釣り部門と食部門

 昨日の貧果釣行から1日たった。実は私は昨年の年末からの釣行で、5連続でランクサイズを仕留めている。こんな記録をとっている人はいないだろうし、上手な方なら当たり前のことなのだろうが、私の場合は5釣行連続が最高記録で、この初釣りでランクサイズが釣れれば6釣行連続の新記録になるところであった。それだけにかなり入れ込んで釣行したつもりだし、時期的に天候的にベストの釣り場(紀ノ川尻)を選んだつもりである。それだけに貧果はショック。昨日の1投目にスズキ(何度も言うが、サイズはセイゴ)が釣れたときは、暗闇にクロダイではない細長い魚が確認できたので、一瞬ニベが来たかとテンションが上がった。ご存知の方は多いと思うが、紀ノ川尻は数こそ釣れないが知る人ぞ知るビッグニベのポイントで、昨年度ニベ部門の大阪協会年間ベスト3も確か紀ノ川尻で釣れたものだ。だから、ニベのことも脳裏にあったので、細長い魚=ニベと思ってしまった。しかも、暗闇の魚がニベであれば、間違いなくランクサイズ(35cm以上)なので、6釣行連続ランクは確実に達成される。ところがその魚がスズキであればランク(50cm以上)未満なので審査に出せず(スズキはランクサイズ以上でなければ審査に出せない)、6釣行連続にもならず、ニベとは雲泥の差があるのだ。それだけに、魚がランク未満スズキとわかったときは「釣り部門」としてはがっかりした。

ただ・・・ただである。昨日も書いたが我が家はスズキの洗いが大好きなので、食べるとなれば話は別。我が家では「釣り部門」よりも「食部門」の方が評価は高い。自分自身もそう。クロダイよりも、ニベよりも、やはりスズキが食べたい。たとえ釣果がクロダイのランクが2匹釣れて、審査にも出せて6釣行連続を達成できても、食べる分にはランク未満スズキにはかなわない。やはり釣り気よりも食い気なのか、昨日の帰り道は思ったほどショックはなく、逆に久しぶりにスズキを食べられると思ったら楽しみな帰り道だった。

釣れたスズキを自宅でさばいたが、都会の川尻独特のいやな匂いもなく、そして内臓はとてもきれいで、値打ちのあるお魚だった。洗いの切り身はコリコリでとてもおいちい。たとえ小さなスズキであっても、我が家では3日連続でスズキのメニューがあるのでうれしい。今夜のメニューはおそらくアラ炊き。またまたおいしく食べてやろうっとfishdelicious

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結果はともかく(^^;

 一生懸命釣ったのだが・・・・結果は惨憺たるものだった。この大会に出席したクラブ員で審査カードを提出した者はゼロ。まあ、気象条件が悪かったので、仕方ない面もあるが、あのような悪条件の中でもしっかりと結果を残せる人がいるのだから、私たちはやはり修行が足りないのだと思う。昨日のブログで、焼肉で時合いを逃した話と一生懸命やってもだめなときはだめ、といった内容のことを書いたが、今回の釣行ではその両方が当てはまった。それは、釣り全体では本当に一生懸命投げ返して頑張ったが、肝心の5時~6時の朝マズメに、車中でまどろんでしまったこと。これにつきる。まあ、睡魔には勝てないことくらいあるわけだから、仕方がなかったということで。

 クラブの月例や大会には入賞しなかったが、私に釣果がなかったわけではない。

Cimg0116_3  43㎝のスズ・・・いや、セイゴ(^^; 一投目のこいつが、本日の唯一の釣果だった。ただ、冬の時期であるということと、魚種がスズキだったので、とりあえずはうれしかった。なぜなら、我が家はスズキの洗いが大好物だからだ。スズキに限らず、我が家は皆魚の刺身が大好きだから、釣りの収穫は大概がまずは刺身になる。一番すごかったのは、本当に貧果が続いたあとにようやく釣れた15㎝のイシガレイを刺身にしたこともある。それでも、薄造りで10切れはとれた。それくらい我が家は刺身にこだわっている。だが、刺身が好きという理由だけでなく、他の料理よりも刺身にした方が逆に料理の種類が増えるというのもある。刺身にすればアラができるから、そのアラはアラ炊き、すまし汁、味噌汁等になる。半身を残せば、翌日にそれが塩焼きや煮つけになる。釣った1匹をいきなり煮付けにするとその時点で種類は頭打ちになるから、我が家ではいきなりの煮付けを好まない。というか、歳のせいか、釣ることよりも食べることの方が楽しみになってきたというべきなのかも。

 それにしても今回の釣りはサブかった。極寒の釣りだった。それだけに貴重な1匹のスズキ、いやセイゴだった。苦労して釣った獲物。おいしく食べてやろう。そんなわけで、スズキの洗い風薄造り、皮の湯引き添えを、酢味噌とおろしポン酢で・・・・

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とんでもhappenな釣り 1

 長年投げ釣りをしていると、とんでもないことが起こることがある。予想外の大漁や、変わったものを釣ったとか。それをこれから「とんでもhappenな釣り」という題で、時々書いてみます。思い出せるかなあ。

 2004年7月、私はクラブの萩山氏、福岡氏と隠岐島後にマゴチ狙いに行った。勢い込んで直射日光の厳しい午後から釣りを始めたが、全くアタリがない。夕方の時合いを待つしかないか、そう思っていた4時頃、ドラグを少しずつ滑らせるマゴチ独特のアタリがきた。素針だとショックが大きいと思い、じっくりと食わせてから合わせると見事に乗った。ようやく1匹目の45センチをゲット。さあ、これから夕マズメや! と気を入れようとしたとき、釣り場の側にある民家からおばちゃんが出てきて、「しし肉の焼肉あるけど食べないか。」と誘ってくれた。「んー、時合いやけど、焼肉も捨てがたい。しかもしし肉やし。」と釣り気よりも食い気を優先してしまい、お相伴にあずかってしまった。酒まで振舞ってもらい、満腹になってフラフラに酔っ払ってその民家を出たのが8時。すっかり日も暮れ、時合いが終わっていた。よっしゃ、こうなったら朝マズメ勝負や! と酔っ払った勢いでそう思いながら、投げて放ってあった1本の竿を巻き上げた。あれ?重い!! まさかと思いつつ巻き上げるとなんとマゴチ! これは50センチオーバーであった。放ってあったのにラッキー!と思いながら2本目を巻き上げるとこれまた重い!!! 締め込みをかわして萩山氏にすくってもらったのは、53センチのマゴチ!!! 二人に、「なんちゅーラッキーなヤツや!」と言われながら3本目を巻き上げると、これもまたまた重い!!!! 今度はかなりな締め込み。そしてまた萩山氏にすくってもらったのは、自身初めてとなる60センチオーバーのマゴチ!!  なんだか盆と正月が一度に来た気分で、酔いもあいまって極楽気分。あとは2人に釣り場をゆずって、別の場所で竿だしをしたが、その後は夜中に福岡氏が45センチを1匹追加しただけでジエンドとなった。

 一生懸命釣っても釣れないときが多いのに、こんなことってあるもんですね。

 さて、そろそろ初釣り大会に出発します。一生懸命釣ってきます(^^;

ホームページとの出会い その3

 単調な日々だった。毎朝8時ぐらいに起きて、息子と一緒にテレビを観ながら朝食を食べる。息子が観ている「おかあさんといっしょ」は、キャラクターやコーナーの歌にいたるまで、全て覚えてしまった。それぐらいしか1日の日課はない。あとは、ギブスをはめていても立ち座りがしやすいように用意したキャンプ用の折りたたみ椅子に座って、1日を過ごすのみだった。ただ、少し前からやっていたインターネットをチェックすることは毎日していた。そんな中でふと目に付いたのが、以前に偶然検索でたどり着いて、何気なしにブックマークしておいた某投げ釣り関係のHPであった。HPには大概リンク集が用意されているから、これと思ったらすぐにブックマークに追加できる。暇にまかせてブックマークに登録しまくっていった。そこからネットの世界が広がるのにはそう時間がかからなかった。はじめは閲覧のみしかしていなかったが、そのうちに掲示板に書き込みをすることを覚え、デジタルな想像の世界だと思っていたHPが、掲示板の書き込みに管理人その他の方が返事の書き込みをしていただけることで、急に身近に感じだした。メールを送るとご丁寧なお返事を返してくださり、単調な日々が急に潤いに満ちた日々になった。朝のメール、掲示板のチェック、返信の書き込み、これが毎日を過ごす上でとても楽しみな日課になっていた。はじめはためらったが、怪我のことを書き込むと、たくさんの励ましのメールや書き込みをくださった。急に仲間が増えたような、くすぐったいうれしい気持ちだった。

 1ヶ月後の3月下旬、ようやくギブスがはずれ、リハビリに通い始めたのだが・・・。

予想はしていたが、リハビリどころか膝の関節が完全に曲がらなくなってしまっていた。膝がカチカチに固まったような状態になっていたのだ。患部が関節だけに、やはり治療は慎重にならざるをえない。それで、医師と相談して入院の上再度の手術を敢行、例の脊髄麻酔を再び打たれて膝を強制的に曲げる手術をした。3月下旬にギブスが外れれば、順調にいけば4月から職場復帰かと思われたが、この手術のために医師からそれを止められてしまった。ギブスの代わりにいわゆる装具なるものをつけて外見上は身軽になったが、まだ体重等はかけられないとのことで、当面は松葉杖のお世話にならざるをえなくなった。またまた診断書。職場の管理職(校長)と相談の上、復帰は6月からということになった。

 新年度のスタート時点で職場にいられないのは大変不安で辛いものである。それでまた落ち込みそうになったが、同僚やクラブのメンバーからたくさんの励ましをいただいた。そしてネットにアクセスすると、それ以上に多くの、目に見えない仲間がいるから心強かった。

 4月に入ってすぐ、意外にも早く松葉杖を離すことができるようになり、体重をかけてゆっくりではあるが歩けるようになった。それで、医師から無理さえしなければ、の条件付で釣りを許可していただいた。それをクラブの有光氏に話すと、それじゃ、クラブの月例会に出てみれば? 俺が付き合ってやるから、と言ってくれた。4月の月例会は協会の春季大会との併用である。前回の釣りは1月の大阪協会初釣り大会(月例会)であったから約3ヶ月ぶりの釣り。それでも予想よりも意外に早く釣りに、しかもクラブの公式行事に参加できることになった。申し込んだ会場は手軽にということで和歌山会場。魚はどうでもいい、とりあえず怪我の影響なく竿を振れるところで、潮風の香りをかげればそれでいい、そう思って涙が出そうだった。でも、じゃあどこへ行けばいいのか。有光氏も怪我人を介抱して安全に釣れるところがどこか、思い浮かばないらしい。それで、会場の和歌山付近の情報に詳しい、ホームページ「bee style」でおなじみのbeeさんにアドバイスをいただいた。beeさんは事情を理解してくださっていたので、そのことを考慮して数ヶ所のポイントをアドバイスしてくださった。例えば紀ノ川尻。普通に考えれば安全でファミリーでも安心な釣り場だが、残念ながら自分には無理だった。今の足の状態ではあの護岸沿いの土手を降りられないのだ。そういったレベルでの釣り場探しだから、beeさんも頭を悩まされたと思うが、テトラポットがなく足場に障害物が少なく高低差がない、そして駐車場から近いということで、御坊市の北塩屋漁港をすすめてくださった。まあ、その釣りの結果は良くはなかったが、確かに足場がよく、竿を振りやすい良い釣り場だった。春の時期にキチヌの良型が釣れるとのことで、タイムリーな場所でもあった。そういった釣り場を知ったのも、事故後初めて釣りに行けたのもHPで知り合ったbeeさんのおかげだ。

 さあ、そろそろ書いていったらキリがないぞ、というところまできた。私はとりあえず5月に入ると装具付きながら普通に歩ける程度には回復し、6月1日付で職場にめでたく復帰。その間にいろいろなアドバイスをいただいた方々をあげていくと本当にキリがない。でも、やはりこのブログという場ながら、怪我の際に心の支えになっていただいた方を少しでも紹介せずにはいられない。その紹介を最後に、この「ホームページとの出会い」を終わろうと思う。ダラダラと長文申し訳ありませんでした。

 前述の 「bee stylebee投げ釣り愛好家さん。住金裏のカレイネタではお世話になりました。また、春季大会のポイントアドバイスはありがたかったです。住金裏は今どうなっているのでしょうか。

「投げ釣りスパイラル」のTsuchyさん。例の渡波釣行に連れて行ってくださった方。当時は、「かれいに投げ釣り」というホームページの名前でした。OLMを初体験させていただき、それ以外にも何度か釣行をご一緒させていただきました。渡波の釣行はきっと一生忘れることはないでしょう。またどこかに釣行しましょう。

「投げ釣り北近畿」の佐織さん。釣行をご一緒させていただいたことは、残念ながらまだ 一度もありません。でも、佐織さんはご記憶にないかもしれませんが、ロッドメイクとキスの数釣り仕掛け作りの際には参考になるアドバイスをくださいました。こんなことを書いて、佐織さんは戸惑われるかな?「まきまき」をマスターしたのは、怪我療養中のことでした。邪魔なギブスに苦労しながら、そしてHPを参考にしながら一生懸命巻いていたことを思い出します。一度、「投げ北」のOLMには参加させていただきたいなと思っています。

 上記の皆様以外にも、たくさんのアドバイスをいただきました。怪我がなければ、たくさんの仲間の方と出会うことはなかったかもしれないし、HPを開設することにもなっていなかったはずです。これが本当の「怪我の功名」とでも言うのでしょうか。この場をお借りして心よりお礼申し上げます。

 なお、時系列の記憶が曖昧で、前後関係がはっきりしない部分があることを、どうぞご了承ください。

ホームページとの出会い その2

 入院までの1週間は忙しかった。といっても、withギブスなので移動には限界があるが、職場への病欠や公務災害の申請、警察への事故報告、保険関係の書類の請求や、北斗サーフメンバーへの連絡など、とにかく忙しかった。ただ動くのには限界があるので電話連絡をメインにし、動かなければならないところは妻の運転で車移動した。また、職場の同僚に自宅に来てもらって書類手続きを手伝ってもらったりもした。警察が意外に面倒で、結構足を運んだ。でも、保険の請求や公務災害(通勤災害)保障申請のためには、どうしても事故届けが必要だったのだ。もっとも、公務災害を申請できるだけ私は恵まれている。自営の方なら保障どころか収入の道さえ閉ざされてしまうのだから。私の職場は4階建なので、勤務にはどうしても支障があり、管理職のすすめで病欠の措置をとってもらった。本音はすぐにでも職場に戻りたい心境であったが、実際に足のギブスを見つめているとありがたいことだと思えた。

 1週間後に入院、翌日に手術。手術は下半身の部分麻酔だったので、意識がある状態で手術された。部分麻酔のなんともいえない感触。強烈に痛い脊髄注射をされたとたんに、下半身の全血管に熱湯を注がれたような異様な感覚。そのうちに、触られても感触がない、例えれば痺れきった手足のような状態になった。これはもちろん初めての経験だった。手術の現場が見えないように、ベルトのあたりに幕を張る配慮がなされたが、手術台に寝かされている私の目の前に、なぜか患部の手術を映像するためのモニターが置かれたのにはまいった。患部が関節部の深層なのでドリルで穴を開け、アイスピックのようなもので穴をゴリゴリと広げられ、陥没した患部をトンカチと釘のようなものでゴンゴンとたたいて修復され、そこにできた空洞に顆粒状の人工骨を埋められていった。といった様子はすべてモニターを確認している私の実況だ。観たくなくても見えてしまう位置にモニターを置くなんて、なんと親切なことか。もちろん、私は麻酔されているわけだから、モニターの映像が遠い国の出来事でも、自分の出来事でも、どちらにしても痛みを感じることもなく、触られている感触もなく、人ごとのように思えただろう。手術は約1時間で終了し、すぐに元の病室へ戻された。麻酔は2時間で解けると言われたが、私は6時間かかった。同じ体勢で寝かされていたので、麻酔が解けるごとに床ずれのような痛みと患部の痛みが増していき、私は翌日までうなってベッドに寝ていた。

 それから1週間後に退院。退院しても行動半径が広がるわけではなく、うれしくもなく、むしろ不自由な生活を思って気持ちが重くなっていた。とりあえず、しばらく私は自宅で療養することになった。自宅でも自由に動けるわけではなく、たまの外出は妻に連れて行ってもらう外来の病院だけ。その頃になって初めて気づいた。あ! よく考えたら、この足じゃ釣りにも行かれへん!! 今まで仕事のことやら諸手続きのことで頭が一杯だったが、少し落ち着いて冷静に考えると、自分にとってもっともショックだったことは、仕事のことよりも釣りにも行けない状態なのだということだった。そのことでしばらくは鬱状態になったような気もする。気持ちの整理がつくまで少し時間がかかった。整理がついても生活が変わるわけではない。自宅で退屈した私は、仕方なく愛用のMacintoshのノートPCでインターネットを始めた。その頃はまだ、そんなに頻繁にインターネットをしていたわけではないが、様々なサイト、特に、発見した投げ釣りのサイトをメインにネットサーフィンし出したのはこの怪我の自宅療養がきっかけだった。先日のブログにも書いたが、今買い換えようとしているポンコツノートPCは、実は目に見えない釣り仲間に会うための扉だったのだ。

すみません、話の流れはもうおわかりだとは思いますが、 さらに「その3」に続きます(^^;

ホームページとの出会い その1

 今から4年前の2月10日、夕方バイクで職場から自宅へ帰宅する途中のこと。

 その日はことのほか渋滞がひどく、いつも通る府道は夜を迎えて車であふれかえっていた。私は路側帯をそろりそろりと通り抜けていったが、大型車の横を通り抜けるとき歩道に寄り過ぎて縁石に乗り上げ、転倒した。転倒したバイクが足の上にのしかかったのはわかったが、特に痛みを感じることもなく、むしろ、渋滞中の車のドライバーが見ている目の前での出来事だったので恥ずかしさの方が先にたち、急いでバイクを起こして立ち上がろうとした。しかも、職場である学校の、スキー行事を間近に控えていたこともあり、「行けなかったらどうしよう。」という気持ちが恥ずかしさと交錯し、焦ってバイクを起こそうとした。すると、なぜか左足に力が入らない。突っ張るとガクガクと崩れ落ちるような感じになり、痛みがない奇妙な感覚。とにかく右足の力を借りてバイクを起こしてまたがった。膝に力が加わらなければ何とかなるし、信号待ちも右足でバイクを支えることで問題はなかったので、今から思えば奇跡的に自宅に戻れた。ところが、自宅の駐輪場に入って駐車しようとしたものの、バイクのセンタースタンドが満足に立てられない。奇妙な格好でかがんでサイドスタンドを手で起こして、右足でケンケンをしながら壁を伝って自宅に入った。妻にそのことを話すと事態が重大ということを察知したのか、電話で救急外来の問い合わせを始めた。

 駅前の救急病院に妻の車で行き、妻の肩を借りて待ち合い室へ。そのときもまだ、とりあえず、スキーはだめかな、なんて悠長なことを考えていた。とにかく膝に力が入らないだけで痛みがないのだ。力さえ入れば何とかなる、そう思った。

 意に反して、診断は左膝関節の複雑骨折・全治3ヶ月という重傷。大変ショックなものだった。しかも、大病院への紹介状まで持たされた。複雑骨折の手術が必要というのだ。左足は付け根から足先まで無残にもギブスで固定され、「スキー?!はははっ。仕事?無理ですね。」と軽く宣告されてしまった。

 翌日は2月11日の祭日。それで翌々日市内の総合病院へ。一昨日とは違った診断が出る可能性を少しは期待して検査・診察。でも残念ながら結果は一昨日と全く同じものだった。その日は1週間後の入院・手術を予約して、惨めな気持ちで松葉杖をつきながら帰宅した。これからのギブスとの生活を考え、気が遠くなるような気持ちだった。

                                その2へ続く

HPの立場

 HPを立ち上げる際に、急にあることが気になって作業が前に進まなくなった。それは何かというと、HPの立場である。公式サイトを名乗るべきものなのか、それとも個人のサイトとして扱うべきなのかわからなくなった。もともとHPを立ち上げたのは、多くのHPがそうであるように、クラブの活動の発信と新規会員を募集する場を設けたかったというのが理由である。だから、HPを立ち上げることにはクラブ員も全員賛成してくれたし、管理人も私がするということで話がまとまっている。だが、クラブ員がどれだけネットの世界に入れるか、いやいや、もっとさかのぼってPCの扱いが可能か、ということまで言及すれば、残念ながらほんの数人に限られる。つまり、HPを開設しても、クラブ員でアクセスできるのは数人しかいないのである。むろん、管理人の私の文章が多くなってしまうのは仕方ないことであるが、クラブ員の多くが未だにHPにアクセスできない今の現状で、公式サイトを名乗ってよいものかどうか。考えすぎなのかもしれないが、開設する際にもっとも気を遣った部分だ。もっとも今は、HPの開設趣旨を一番最優先に考えることで運営するべきとの自己判断で管理している。したがって、これからも釣行記等、「ふぐたろう」のハンドルで個人HPのような扱いで記事が書かれることが多いが、どうぞご理解の上で性質上は「公式サイト」というとらえ方でアクセスしてほしい。

 ネットの普及は思わぬところで奏功しているし、弊害になっていることもあると思う。事実、ネットでの情報収集のおかげで釣行の際にはおおいに参考になっているし、協会からの情報もEメールおよびその添付ファイルで済ますことができるようになった。まったく便利なツールだ。だから、クラブ員にはできればこのような便利ツールを実感してほしい。しかし、そういったネット普及の影響かどうかはわからないが、某釣り雑誌は紆余曲折の末に廃刊されることになったと聞くし、現在は釣りに関するものに限らず情報誌関係全体の存続の危機に直面しているのではないかと思う。今は小説ですら、ゲーム機で読める時代だから。私がクラブの募集を知ったのはやはり釣り雑誌であったし、20年前はそんな釣り雑誌を月に1回、あるいは週に1回購入するのが楽しみでもあった。今となってはその頃がなつかしい。クラブでネットが普及するといいなと思いながらも、そんな過去のノスタルジーに浸ってしまうなんで気持ちの矛盾があると思う今日この頃である。

 さあ、明日は久しぶりに、「関西の釣り」でも買ってこようかな。

 なつかしいなあ、「僕の私の釣りだより」(^_^) 

(注 以前は「関西の釣り」に、こんな題の少年少女の釣り投稿コーナーがありました。)

北斗サーフと私

 はじめのうちは題材も多いだろうと思っていたブログだが、いざ書くとなると何の話題にしようか迷ってしまう。職場でも時間が空くと、今日のブログは何にしようなんて考えている。でも、私はどちらかと言えば文章を書くことが嫌いではないし、今までたくさんのHPやブログを読ませていただいて、自分もいつかはこうやって自分の気持ちや考えを書きたいなと思っていた。その夢がかなったわけだし、少なくとも今日書けば3日坊主もなくなるし(^^; 頑張って書くぞ!とさっき気合を入れ直した。

 私が北斗サーフに入会したのは、平成2年の5月。月刊誌「関西の釣り」の会員募集の広告を見て入会を決めた。決め手は、当時の小林会長がすぐご近所にお住まいであるということだった。電話で連絡をすると、早速自宅に仕事帰りの小林会長が駆けつけてくださった。入会希望の人からの連絡とはいえ、そうして早速に訪れてくださった小林会長に大変感激したのを覚えている。手続きやいろいろなことを丁寧に説明してくださり、申請する予定の魚拓等をたくさん見せてくださった。その時点で、私は小林会長の人柄に一目ぼれし、即入会を決めた。

 それから20年の歳月が流れたが、その間、何度クラブを退会しようと思ったことか。生活も安定せず、釣りに行く気分も全くなくなって、挫折直前まで進んだことは幾度もあった。だから、私には在籍期間のうち数年間の、泣かず飛ばずの時期が存在している。

 しかるに、私はなぜクラブをやめなかったか。それは、釣り以外の部分でのクラブ員との付き合いが、私にとっては釣り以上にかけがえのないものになったに他ならない。生活面で辛いときでも声をかけてくれるクラブ員がいるし、会長にも随分と心配をかけ、それでも支えていただいたし、そういったことに対する恩のようなものを、北斗サーフに感じたからだ。もちろん現在でもそんな人間関係は健在であるし、クラブに入会しなければ決して得られなかった、かけがえのない人間関係を与えてくれた北斗サーフに私は感謝している。このことはクラブ員の皆さんにも、私の会長就任の初心表明の際に話させていただいた。

 私の人生の流れの中で、「北斗サーフ」は大きな位置を占めている。そんな大切なクラブのために、これからは会長という職をまっとうすることで恩返しをしていきたいと思っている。

 なんて、えらそうに書いても、結局私は投げ釣りが好きなのかな。

先入観・思い込み

 これは以前にクラブの会報に掲載したことがある内容なのだが、よく釣りに行くとき、潮が小さいより大きい方が良いとか、日中、夜中より朝マズメ、夕マズメが良いとか、そういうことで釣りのテンションが上がり下がりしたり、釣果の予測をしてしまったことがある。もちろん、潮が激流のように流れるポイントでは潮が小さい日の方が釣りやすいし、朝、夕の方がチャンスは多いのは確かなことだが、その言わば自分で作ってしまった「定石」のようなものに、無意識のうちに釣りの意気込みを左右されていることが多い。だが以前に、そんな「定石まがい」を覆す事態に遭遇したことがあった。

 ある年の夏に、熊野の鬼ヶ城に夜のキス釣りに行った。夕方から勢い込んで竿を出したが全くアタリがない。夕マズメ時のチャンスを逃してテンションが下がり気味になったとき、悪いことに急に天候が悪化。泣きっ面に蜂とはこのことをさすのだ、と言わんばかりに雷をともなった豪雨となった。とりあえず荷物を持って岩陰に避難。竿の近くに雷は落ちるわ、道具や衣類はずぶぬれになるわで、悲しくなって、もう落ち着いたら家に帰ろうと思った。夕方からアタリがない上に雷ばバチバチ鳴って、警戒心の強いキスが釣れるわけがない、と思ったのである。雨は雷鳴をとどろかせて夜半を過ぎても降り止まず、道具をかたづけるのも危険な状態がいつまでも続いた。もう、怖いやら、みじめやら、でさんざんだった。

 岩陰でうずくまっているうちにウトウトしていたのだろうか。気がついたら雨は止み、空には星空が広がっていた。時刻は午前3時。道具や衣類の状態はもはや釣りを続行できる状態ではなかったし、まさか釣れることはないだろうと、道具を片付けかけたが、今帰っても朝になってから帰っても同じことと思い直し、なえた気持ちを奮い立たせて3本の竿を投げ込んだ。と・・・投げ終わったとたんに1本目の竿に大きなアタリがでた。竿先がバンバンと何度もお辞儀をしている。アナゴかな?と思い合わせると案の定鈍い重み。あーあ、と思いながら際まで巻き取った仕掛けを無造作に放り上げた。私には複数のアナゴがうごめいているように見えたが、なんとなく魚体が短い。近づいてヘッドライトを点灯して確認すると、なんと! キスのトリプル!!(このときは、自作の段差3本ハリを使っていた) しかも、1匹は28cmオーバーで、あとの2匹は27㎝と25㎝!! 一投で3匹のキスでしかもランクが2匹! いやーもう終わっても悔いないなあ、なんて思っていると、残りの2本の竿も交互にお辞儀しているではないか! 順に巻き上げると、1本は26㎝オーバーで、もう1本は24㎝。それからも、ランク物は釣れなかったが、20リットルクーラーが満タンになるほどキスは釣れ続いた。そして、不思議なことに、明るくなる直前に急にアタリが止まった。その頃には興奮のせいか衣類は乾き、それでも釣れた余裕か、まだ暗いのに道具を片付けてずっしりと重いクーラーを提げて、気持ちは数時間前とは全く逆に、意気揚々と帰路についた。

 雷が鳴って釣れない? 朝マズメは釣れる? いやいや、そんなものは自分で作った先入観の何ものでもなかったのだ。釣行前の思い込みや先入観が、ともすればこんな逆転もあり得るのだということを絵に描いたような釣行だった。

 こんなことがあっても、自分の思い込み癖は直らない。例の協会記録のイシガレイが釣れたときもそう。渡波は時期的に秋が良いと聞かされていたので、自分的には春の5月という時期はカレイはあまり期待していなかった。そのことは、同行のTsuchyさんにもブツブツ言っていた気がする。しかも、釣れたのは干潮の下げ止まり過ぎ。潮止まりが良いのはわかっていても、干潮時はどうしてもテンションが上がらなかった。例の悪い癖、先入観、思い込み。だから、自己紹介のページにも書いたが、あのカレイはTsuchyさんがいなければ(もちろん、一人で行くことはなかったと思うが)釣れてはいなかった。干潮でも、たとえ朝から調子が悪くても、黙々と投げ続けたTsuchyさんがいたから自分も頑張れた。今ではそう思っている。釣りをしたい! 投げ釣りが好き! 先入観を捨て、そんな素直な気持ちで釣りにのぞんだ方が、結果もそれなりに伴ってくるものだ。

 あー、自分でこうやって反省していても、また先入観の塊で釣行するのかな。またまた反省・・・・・・

 昨日このブログにも書いたが、ポスターが出来上がったのでここにアップしておきます。

 皆さん、北斗サーフをよろしく!!

Photo_2

必要な物とほしい物

 我が家にはPC用のプリンターが2台ある。1台はEPSONのPM2000C、もう一台はCANONのBJF900。どちらも今となっては過去の遺物的存在だ。特に、PMに至ってはシリアルなので、現在あるPCに接続するためのUSB変換ケーブルが必要だ。でも、どこのご家庭でもそうだと思うが、プリンターが稼動するときは冬の年賀状のときと、気が向いて写真をプリントするときくらいのもの。しょっちゅう使うならまだしも、滅多に使わないプリンターを買い換えるのはとても勇気がいることだ。我が家のプリンターは、もともとPMしかなくて、A3までプリントできる(結局あまりA3なんてプリントしなかったが)ので重宝していた。ただ、画質が悪くてそれを補う意味でBJを追加購入したのだ。ところが・・・最近2台とも調子がおかしくなった。PMはPCからの命令を無視するようになり、BJは写真プリントの最初の数枚が、とんでもない発色となってしまう。しかも、BJはインク交換が頻繁になってしまって、妻に「もうええかげんに買い替えんと、消耗品代バカにならへんよ。」とあきれられていた。年賀状印刷で、莫大な用紙代とインク代がかかってしまったのだ。新しいプリンターか。必要になってきたかなあ。なんて考えだした。

 話は変わるが、今、北斗サーフ会員募集のポスターを作ろうと思っている。各地の釣具屋さんに掲示してもらおうと思っているのだ。ポスターというからにはやっぱりA3版以上でなければ目立たないし、命令を無視するPMで無理にプリントしても、画質はたかがしれているし・・・・

 今日、思い切って近所の家電量販店Mでプリンターを買ってきた。EPSONのPMG4500。画質がそこそこ、A3もプリントできるのは、この商品か、CANONのiX5000くらい。PMの方が5000円ほど高いし、iXは4色独立インクタンクに対して、PMは6色独立。消耗品はおそらくPMの方が高くつくだろうが、どうせなら画質にこだわろうと思い、PMGに決めた。ちょっと痛い出費ではあるが、これでプリンターの悩みからようやく開放されるので、とてもうれしい。必要なものは必要じゃないものを節約して買うものなのだと自分で納得できた。さあ、次に買い換えるのは画像処理用に使っているMacノートPCかな。もう9年も使っている化石のようなMac。でもこいつはまだまだ健在。悩みどころ・・・

 またまた話は変わるが、2月上旬に開催されたフィッシングショーOSAKA。色々な人のHPや番組で、新製品の話題がしきりに取り上げられている。自分も新製品をほしくないと言えばウソになるが、話題に上がっている商品に限って高額のものだし、どうも新製品の購入は無理っぽい。でもどうなのだろうか。フィッシングショーは毎年開催されるわけで、そのたびに新製品を購入したいなんて言ってたら、釣行代なんてなくなってしまう。それに、私にとっては、新製品=ほしいもの、であって、新製品=必要なもの ではない。何年か前、ある釣り場で某有名なサーフの方をお見かけしたことがあったが、その方はいかにも古めかしい、廉価版の竿を使用されていた。穂先が白いタイプのもの、と言えば想像していただけるだろうか。3脚に並んでいる竿が「釣具に金はかけへん。」という信念を物語っているようだった。私は新製品の話題が出るたびに、この方のことを思い出す。私は、必要でもないのにほしいからといって釣具にお金をかけるのは、少なくともこの方の無言の教えでこれからも控えていこうと思う。数々の大物を仕留めさせてくれた、愛着のある道具たち、と言えば納得できる。パーツの在庫がなくなって、修理すらできなくなる日まで、私は今の釣具を大切に使おう。

と言いつつ、舌の根が乾かないうちに・・・   なんてね(^^;

HP開設にあたって

 投げ釣りクラブに入会したのが28歳。もうそれから20年もたってしまった。本当ならばのんびりとただの平会員として投げ釣りを楽しみたかったが、クラブの事情でそうもいかなくなった。でも、嫌だ嫌だと首を横に振りながら引き受けるのも気持ちがすっきりしないし、ここはひとつ一肌脱ごうかと、自分から手を上げた。それがよかったのか悪かったのかはわからないが、しばらく自分のステイタスを高めるつもりで頑張ってみようと思う。

 その上に、HPを開設して、おまけにブログまで・・・・自分のキャパシティはとうに超えているとは思うが、やるからにはしっかりと頑張るつもり。ブログは気楽に思いついたときだけ書き込むことにして、クラブ運営とHP管理かな、とりあえず。そんなわけで、こんなたよりないやつですが、皆様どうぞよろしくお願いいたします。

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